この小説がいかなる作品か、一言でいってしまえば、妻の同意のうえで街娼と一夜をともにする話だと簡潔に要約できる。 街を妻と連れだって歩いていると、けばけばしく着飾った客待ちしている娼婦を見掛け、あれが街娼というものだよと妻に言い、あんなふうに着飾ってはいるが、中身ときたら、そりゃあもう汚れたものさ、なんならあの女を買って化けの皮を引ん剥いてみせようかと嘯いて街娼を買い、翌朝、やはり腐りきっていたよと妻に伝えるという、なんだか後味の悪い悪意の込もった作品だ。 このシンプルな「要約」だけなら、なんだか吉行淳之介の小説にもありそうなストーリーではある。 しかし、居住まいを正した吉行淳之介の生硬な小説の比べると、こちらの方はずいぶんと砕けた感じがするし、稚拙な印象も否めない、それが自分の正直な感想なのだが、果たして、こういう反応でいいのか、良しとするほどの自信はないのだが。 この小説の書かれた時代(1931年11月)を思うと、淳之介が優れていて、エイスケが劣っていたとは、一概には言えないような気がする。 日本陸軍·関東軍がチチハルを占領し、もはや引き返せない戦争の泥沼に日本が踏み出した時期でもあったことを思えば、権力におもねって時局迎合作品を書けたかもしれない時期に、街娼と一夜をともにしたという、どーしょーもない小説だからこそ、込められた意味というものも、なくはない。