「読書」の感想
読書
どくしょ
初出:「改造 第二十巻第十一号」1938(昭和13)年11月

西田幾多郎

分量:約7
書き出し:私は或は人から沢山の書物を読むとでも思われているかも知れない。私はたしかに書物が好である。それは子供の時からの性僻であったように思う。極《ごく》小さい頃、淋しくて恐いのだが、独りで土蔵の二階に上って、昔祖父が読んだという四箱か五箱ばかりの漢文の書物を見るのが好であった。無論それが分ろうはずはない。ただ大きな厳しい字の書物を披いて見て、その中に何だかえらいことが書いてあるように思われたのであった。そ...
更新日: 2025/05/25
8eb05d040692さんの感想

色々と難しく書いてる気がするけど、哲学書や思想について書いた本は読まない。

更新日: 2021/10/24
そ!さんの感想

書きたいことがそれほどまとまって無いのに、とりあえず書いたというような印象を受けました。

更新日: 2021/01/14
人間さんの感想

正に的を得たものだと思います。私がこれを読んでいるのもそれと一致したものがあるからだと思います。

更新日: 2020/07/01
ff27e5f614bfさんの感想

個人的なメモで内容に触れてないです。 分量7分で読めるか試した。本当にほぼ7分だった。メモしたりしながら読んだけど。

更新日: 2018/10/11
いちにいさんの感想

本を「覗く」という読み方はユニークである。西田氏でもあらゆる書物を読んでる訳ではない、と告白している。しかも、西田氏でもアリストテレスは難しい、と言っている。何度も読むという。思想を理解できる年齢がある、とも言っている。焦る必要はない。本を覗く気持ちで良いのだ!覗いて閉じて、また覗いて、また閉じる。その意味では、本は常に手元に置いておきたい。図書館の借り物では駄目だ。特に古今東西の大思想家の書物は落書きをされる運命にある。古本で余白に落書きされた本は価格が安いが、私は読者の余白の感想、思想、批判を好んで探したものだった。むしろ、そうした本は逆に高くても良いと考える。 話は逸れたが、西田氏が述べたことに直接的に応える必要はなく、どんどん別の議論へ発展し大いに論争することが読書の役割だ。他人に考えてもらうこと、ではないようにしなければショウペンハウエルに怒られる。(チコちゃんではないが………)

更新日: 2015/11/18
99911a78259aさんの感想

西田さんの本の読み方は雑読。偉大な思想家の骨を掴めば、全集を買う必要はない。しかし概論的なものばかり読むのは良くない。自分の思想が及ばなくて難しいのであれば、何処までもぶつかっていくべきではないか。