雙之川喜1941 桐の葉越しの 紫陽花の 下で 女が 氷を 飲み込む。このあたりの 清涼感に 話しを 持って いきたかった ようだ。少しだけ 感心した。
流れるような文章、久しぶりです。
良い文章を読んだことは分かる……古文の助動詞の復習をしないと
泉鏡花は文語体の作品が多いので私にはあまり内容がよくわからないことがある。おそらくこの作品は氷売りの美少年が貴婦人と従者(腰元)に出会い、氷を売ってくれと言われるが氷を切り崩す鋸が炭で汚れていて氷の欠片は汚れてしまい、貴婦人に受け取って貰えない。少年は貴婦人の手を引き小川まで行きそこで氷を洗って婦人に渡そうとするが、婦人は息も絶え絶えとなっていて最終的に亡くなってしまう。途中までは美少年をいじめるのが趣味の有閑婦人なのかと思ったが、なんの前触れもなく亡くなってしまい驚いた。 ここで注目したいのは物語の内容にはほぼいらないような序文、舞台となる社の説明がある。社には蛇が住んでいて里の人は近づかなかった。昔社に仕えていた隻眼の翁は片目を失う前に長い黒髪を見たことがあり、それこそが社の神だろうと。 私が思うにこの神が貴婦人、蛇が腰元なのではないだろうか。社に氷売りの美少年がやって来て、この神は何がしかの理由で現れ氷を売るよう言った。暑かったからなのか、少年の美しさに惹かれたのかはわからない。それでいじめと言ってもいいような扱いをしたら、少年が逆襲とばかりに腕を掴んできた。この時の婦人及び腰元の反応は不自然ではないが、少し大袈裟ではないだろうかと私は思った。ここからは完全に妄想の域に入るが、この神もとい婦人は人間に触れられたことにより亡くなってしまったのかもしれない。ならばどうして人間の前に姿を現したのか。ここでわざわざ冒頭に出た隻眼翁に触れたい。もしかしたら少年は翁の生まれ変わりなのかもしれない。社に仕えていた翁の生まれ変わりがやって来て神はいてもたってもいられず、姿を現しかつてのように弄んでみた、いや甘えてみた。しかし少年は翁ではないのだから反発心故か神の腕を掴んでしまった。最後に婦人が許しを乞うような殊勝な態度を見せたのは、本当は翁の生まれ変わりたる少年を可愛がりたかったのに死んでしまうことになったからかもしれない。 かもしれない論の妄想はここまでにしておき、使われている単語、描写は申し分なく美しい。妄想の余地ありの点では評価していいと思う。
文体も描写も美しい。が、美しすぎて自分には意味不明な部分もあり。それがちょっと哀しい。 多分、氷売りの男の子に氷をくれと言った身分の高い女性が、男の子が継母の意地悪で炭にまみれたノコギリで切ったものだから真っ黒になったのを受け取ろうとせず、最終的には丸ごとくれようとしたのに、イラついてそれを叩き落とす。男の子はそれを拾って、女性を川縁まで引っ張っていって水で洗い渡すけど、女性は心臓発作か何かで死ぬ、のかな? 違ったらごめんなさい。 話的にはどうなんだと思うけれど、美しいので好きです。
感想書こうにも現代の文章とは異なり、読みづらい。アドバイスできる方よろしくお願いします。
綺麗だった。 よくわからないけど好き。
読んだ。美しい情景なんだろうね。