自我によって感情に翻弄される馬琴は俗人。孫の発した言葉に気づきを得て、一心不乱に八犬伝を書きなぐる。この無心の状態が神人。煩悩から解放されることは並大抵のことではない。
松の湯で 馬琴は すが目の男が 聞こえよがしに 作品を罵倒するのを きかされる。 いわく 焼き直しでげす 二番煎じ あたっているので つらい。 版元は、治郎吉を書くようにと 責める。 女房は 金にもならないのにと 陰口を叩く。 馬琴は 三方から攻められても めげないのには 感心する。
戯作三昧の境地…悲壮な感激と恍惚に飲まれたい…
現代文の教材に出てきて、気になったのでチェック。 馬琴を敬愛する私としては、「こんなの馬琴じゃない!」と思ってしまう箇所もあったけれど、読んでいて面白かった。 馬琴に重ねて、芥川の小説家としての苦悩や悦びが描かれていたりするのかな、なんて。 若き頃の馬琴を描いた作品があったら絶対面白いのになぁ。
蜜柑に似た素直さがある。こと瞬間を叙述する能力はここにありと言ったところか。戯作三昧は物事の両極、裏と表、そう言ったことを語っているところにひとつの魅力があるのだろう。地の文と台詞が単なる繋ぎではない織り込みを成している。小銀杏とはまた皮肉と愛らしさが混じったいい比喩じゃないか。早死にが惜しいが、根が善人過ぎたのだろう。いい作品だった。
又吉が勧めていたので読んだ。 創作者の苦労あるあるがたくさん描かれていて面白かった。共感してちょっとつらい…。 前回書いた原稿を読んで鬱々としている所に孫が無邪気に飛び込んでいきお話しするシーンが好き。