社会主義は若者にとって一種の麻疹のようなもの。こじらせないのが普通。
大人になるってこういうことっていうのがわかる作品。 そして自分は大人になってしまっても、昔形に残したものは残り続け人に影響を与えたり与えなかったりする。 そうして若いときの己の思いは誰かの中に生き続けていく。 果たして青年も大人になってしまうのか、それとも誰かに影響を与えるようことを成し遂げられるのか気になりますね。
どんなことが自分以外の人や事象に影響を与えたり、そこが元になって人を形成して文化と成ったり、はたまた一方で破壊に繋がるかはわからない。きっかけや動機という事柄は、どんな人も少なからず周囲に影響を与えたり影響を及ぼしているだろうし、また、社会主義活動や思想や政治活動などに身を投じたりすることの多くは自ずと自らの安心や安寧秩序ある暮らしや支えの渇望によるものでしょう。結果として社会主義活動家のなかの一握りが「政治活動家」と呼ばれる人たちであったり、また、落伍者と呼ばれてしまう多くの活動家を目指した人たちもまた、己の幸せという安寧秩序が身近な暮らしであっただけという、どちらも人間として至極当然の成り行きであるだけにすぎない、善悪なき、ひたすら人間であるはたらきと証明されただけの事象であるように思います。たんたんと語る文体は芥川龍之介の俯瞰のなせるわざなのだと感じます。
おカネを稼ぐと言う手段のために働いていたのに、いつしか本来の目的である社会主義の流布?啓蒙活動をやめてしまうのが皮肉が効いてると思った。まあおもろかったのでなんでもいいです。
この会社員の人生が分かる。
信じていることを 貫き通すと 褒められることはある。 生きる為には 世の中を 遊泳して往かなければならないことは よくあるので 他人の 褒め言葉に 酔っていると そのコストの膨大さに 泣きを見る。 為に 変身せざるを 得なくなってしまうのかもしれない。 誰も 責められないと感じた。
青春とか若さって何なんでしょうか。ただの未熟でしょうか。それとも老いが衰弱であり退化なんでしょうか。考えさせられました。
「彼」は、どうしてそんなに社会主義に熱心なのだろうと思いました。
青年もまた彼の様に大人になるのかな。
短い文章でしたでした。が、読んだ後の感情が複雑だ。彼は最終的にも社会主義者にならなかった。これは彼の若者時代の夢で、命と同じ価値があるとたとえしても言い過ぎない。しかし、夢を人生の長さに守るのが難しい。やめるのも痛い。家庭を守るか、友人との一緒な夢を続けるか、家庭と仕事の両立をうまく処理できないのが人共通の悩みである。実は、どんな決定を作っても、それも自らの人生だ。そして、かかった精力が無駄な徒労にならない。彼と同じように、自分自身も知らなかった間に後の若者の人生を改変したではないだろうか。これも同然人生の生き甲斐だ。
确实是很好
発表年月を見ると、死の間際の作品であったのですね。短く人生を総括するような作品です。何を思いながら芥川はこれを書いたのか、考えさせられます。
若年期の余り有る情熱を注いだ一作品は若い芽を芽吹かせたが、当の作者はそれを懐かしむばかりである。 時勢の移ろいによって情熱は徐々にしかし着実に消えてしまう。 恐らく多くの人間はこれを体験している。
老後になっても、青年の燃えたぎるような情熱を傾けられるような真の哲学こそが必要だと感じた。 社会主義もたしかにエネルギッシュな革命思想ではある。ただ、時代や環境によって淘汰され、あるいはサビレを感じさせるような思想に人生を費やしてしまった男の、哀れとはいわないまでも哀愁漂う描写にとても考えさせられるものがあった。
思想に生きた青年期を過ごした人には、救いと、物寂しい共感とがない交ぜになった感情を与える一篇。
人間的な希望を感じさせるものの、かつての揺るぎない思想を環境の変化とともに失うはかなさを描いている。 実感を起こさせる描写はなく、作者が予防線のように言葉だけで書いたようにも思える。
あるある。