「余が翻訳の標準」の感想
余が翻訳の標準
よがほんやくのひょうじゅん

二葉亭四迷

分量:約10
書き出し:翻訳は如何様《いかよう》にすべきものか、其の標準は人に依って、各《おのおの》異ろうから、もとより一概に云うことは出来ぬ。されば、自分は、自分が従来やって来た方法《しかた》について述べることとする。一体、欧文は唯だ読むと何でもないが、よく味うて見ると、自ら一種の音調があって、声を出して読むとよく抑揚が整うている。即ち音楽的《ミュージカル》である。だから、人が読むのを聞いていても中々に面白い。実際文章...
更新日: 2025/01/04
65c8aadc88adさんの感想

川喜 そも そも 翻訳は 横のものを 縦にするものだから その 作業の 途中で 転がり落ちてしまう ところがあっても それは 当たり前で すべてを すくいとれるとしたら かえって 不思議のような ものである。ここでは オノマトペには 触れていないけど もし取り上げたとしたら 余計 混乱したであろうと 感じた。15:23

更新日: 2017/03/15
b9ef941530ccさんの感想

二葉亭四迷の余が翻訳の標準は、欧米語には語調のリズムがあって、音読すると調子がある。日本語は平坦で音読してもつまらない。欧米語のコンマやピリオドは、ただ意味を表しているだけでなく、語調も表している。翻訳するに、原文の意味・詩情を日本語訳するのは大変な苦労であるが、それは二葉亭四迷の力不足である。日本語より、ロシア語の方が二葉亭四迷にとっては得意のようだ。