秋から冬にかけて、死の覚悟決めた展開。家族、知人に対する気持ち。
「希望をもてないものが、どうして追憶を慈しむことが出来よう。」と 基次郎は 記す。不治の病に 苦悩することは もともとの 鋭い感性を さらに 研ぎ澄ます。夜番の 撃拆(げきたく)拍子木の微妙に 変わっていく 反響の具合で 通って行く先々を 彷彿(ほうふつ)とさせたという。沈鬱(ちんうつ)な 気分に 胸が痛むと 感じた。
悲しくも甘ったるい作品だ。結核に侵され自分には冷静に自分の肉体や生活が滅びていくのを見ていくだけしかないのだと言う。悲しみの極みにありながら街や自然の美しい風景、母、友人が慰みとも儚い希望ともなっている。限りある生、全ての人の感情に通じるものがある。
旧制大学生の闘病日誌か、結核が不治の病であった頃の悲しいお話。60年くらい前はこういう世相であった事を思い出しました。私の場合は治りましたが結核病棟では多くの人が亡くなったのを思い出します。
風景描写の何とも言えない美しさや儚さが良い。病気によって見ているものがよりいっそう細やかに映るのだと感じた。
死期がせまって青年の心の描写と、景色が切ない。
新型コロナウイルス感染者を彷彿させる描写である。肺病をタカシは患っている。冬の日というタイトルは死をイメージする。四季に順番はないが、春がスタートで冬はエンドである。タカシには春は来ない。