自分の鼻に対して、何か実害が出ているから嫌なのではない。ただ、己の自尊心を傷つけられてしまうのが嫌だという、内供の気持ちに、私は強く共感した。社会生活に支障をきたすかということを気にするのではない。ただ、自尊心が、このデリケイトな気持ちが壊れてしまうことが怖いのだ。 だから、きっと私も内供も、もし人に笑われないのであれば、鼻の長さなどはどうだって良いのだ。 だからこそ、思う。内供は俗でないから幸せなのではない。むしろ、足りないのだ。修験者にでもならなければ、その気持ちは満たされないのだ。 私もそうだ。決して、決して人に笑われたくないのだ。だからこそ、どんなに惨めな身分になろうが、人が笑ってさえいなければよいのだ。 ああ、でも本当は、本当は内供も私も、鼻のことなど気にせずに、むしろ笑いの種になることを歓びとして、会話ができれば、それが一番であったろうに。
今でいう二重整形みたいなもんかしら。 人間あるあるでしたね。
他人の不幸あるあるですね。 いつの時代にもあるんですね。
可哀想というかこちらの何かしらのコンプレックスや自尊心の弱いところも擽られて苦い 中童子は誰か教育した方がいいが、こういう存在がいるのも事実 秋の朝の描写が綺麗なのは流石なのか この後はどうなったのかしらね この話の主眼は、①コンプレックスに苦しむ内面とそれすら滑稽になってしまう様子なのか、②そんな様子を愛するor普遍性を作品として語るところなのか、③自分の特徴が戻って安心するところなのか、④人間がもつ傍観者の利己主義の習性なのか ④かな、、、 なんでこんなに読んでてちょっと不愉快な作品が有名なのかと思ったが自分もこれだけ感想を書きたくなるという点が名作になっている理由なのかな
何度読んでも不思議な感覚を覚える。
シュール。鼻のサイズ戻って結局なぜ笑われてたのか不明瞭な所も良い。
自分の鼻に自信が持てて良かった。
人にはそれぞれ一生背負っていくものがある。自分の意思では動かせない事もある。とてつもない悲しみでも付き合うしかない。辛くても光を見付けることができる。天命を尽くすにつきる。人の悩みをもて遊んでは値打ちがさがる。そんなことを思いました。
己のコンプレックスを解消してもまた別の悩みが発生してしまう。 人の悩みは尽きることはないということがあらわれている作品だなと感じた。
芋粥しかり、鼻しかり、「欲望との付き合い方のすすめ」が根底にある作品はやはり面白いと感じた。 多分著者的には、「人生の最初から最後までを貫くような欲望というのは、叶うべきものじゃないんだよ」という感じなんだろう…違うかもだけど。
読了(2022/03/30 03:30:09) 内供に本当に必要だったもの ×理想の鼻 〇他者評価を気にせずありのままの鼻を受け入れられるだけの自尊心 実際は難しい
鼻の形状をせっかく変えたのに、かえって人に嘲笑される。 元々禿頭だった御仁が、かつらを使い始め、かえってみっともなく感じさせるのと、同じであろう。 鼻の行く末が気になり、一気に読み終えた。
本当に、鼻、見たい、
まぁたしかにコンプレックスとチャームポイントは裏腹だったりするよな。 しかしこの図式は整形手術万能の時代でも通用するのかな? 最近、ホクロを消したタレントさんが言ってたセリフを思い出す、チャームポイントは自分で決めたい、と。 作者がもし現代に生きていたら、果たしてどんな作品を書いたか。こう単純な展開にはならないのではないか。 あのタレントがホクロが消えたことで仕事が減ってしまい、消したことを後悔してるときにまたホクロができてきて安堵するなんて展開ではつまらないな。むしろホクロのない顔で初めて仕事の困難さを知り、そこから本当にタレントとしての仕事のやりがいに目覚めるという方が読んでいて面白いと思う。 ま、これは古典として楽しめるのですがね。
「不幸な人を見ることが人の娯楽である」という皮肉が感じられる作品。
世評を気にする事は よくあること。 禿げ頭に 毛が生えたら こんな気持ちには ならんでしょう。 達観を 会得した筈の僧にして この騒ぎは わからんもんですなと感じた。
私達は、世間の評価を気にし過ぎなのかもしれない。 主人公は、世間の評価から劣等感を感じていたが、逆に、周りが褒め称えれば誇らしい物と思えていたのではないか‥価値基準なんて有りはしないのか、これまで抱え込んでいた悩みを考えるだけバカバカしいと感じた。
人間に誰しも内在する劣等感というものを「鼻」という比喩に例えて見事に表現している。他人からすれば取るに足らないことも本人にとっては深刻に感じられることも実に多い。こうした人間の悲しい性とその滑稽さは、時代を超えて普遍的なものであり、色褪せることのない真理である。こうしたさり気ない日常を通して普遍的真理を伝える芥川の創作手法は、やはり見事である。
コンプレックスも含めて、その人自身ということか。 コンプレックスがなくなると、実はそれがいい影響も与えていた、ということに気づくのかもしれない。 主人公は鼻が長いことで、人から顔を覚えてもらい安かったのかもしれない。そうじゃないと、噂がそんなに早く、広く広がることはないように思う。
軽妙の極み