雙喜 思い込み 錯覚 牽強付会などは 誰にでも ある。あまり よいことではないと されるが 発明発見の 端緒に なったりは する。文芸作品でも 書き手の 真意を 曲解 することが ないわけでは ない。近頃の 湯中風の 隆盛を 見ても 狼少年に なりきって 騙し 騙されを 堪能 没頭している お方は 珍しくも ない。日本 だけの 国民性 かもしれないと 感じた。
飼い猫の話から思わぬところに着地
ここに書かれている600年前の逆賊とは足利尊氏のことで、論争の末に大官が辞任に追い込まれた論争というのは、1911年に起きた南北朝正閨論争のこと。 いよいよ戦争の気配がし始めた微妙な時期に天皇の権威を根底から揺るがすような論争は都合が悪く、そもそもあってはならないことだったはず。 身内が皇室の権威を蔑ろにして母国を捨て、惚れたジゴロとNYにトンズラする女皇族が存在するような現代から思うと隔世の感を禁じ得ない。
推理が解決して、はいおしまい、となるのではなく、最後は予想外なところに着地した。文面からどことなくユーモアも感じる作品。
居着いた猫の話かと思いきや、頭のなかで膨れ上がる一方の考察への警告と繋がり、幕となる。自分の思考をちゃんと客観視できるからこそ、こうして短くまとめられるし、このコロナ禍の現在でも言えることでもあるな。
猫の話より、某大臣が六百年前の逆賊を弁護して辞職やむなしと騒がれたという事件が気になった。
気候の良い頃可愛い猫ちゃんを愛でながら考えを廻らす様子が想像できるようだった。こういう特に意味のないこと(今後本気で証明する気もないこと)を考える日ってあるよね。
ちょっとした、猫の出来事を推論し、考察していく能力はすごいです。
考えさせられる。私たちは勘違いをしやすい、都合のいいように考えやすいと感じた。自分の判断は必ずしも合ってるとは限らない。
よき
結局、何が言いたかったんだろう
この短い文章の中にこれだけのミステリーがあるとは、さすがだ。
よくわからなかった
綿密な検証のようにみせて、それらはただの希望に任せた憶測に過ぎないと苦笑。ただし現実でもしばしこのような脆弱なデータから結論を出しているケースも見受けられるとの鋭い指摘をしている。と気がしてしまう錯覚起こすことを書き添えておきましょう。
よくわからない
誰しも、よくこういう推論を頭の中でする事がある。 それを真面目にキチンと向き合い名文にしてしまうなんて、寺田寅彦先生! 流石です!
途中で飽きた。
妄想あるある。面白かった。
身近な事柄を題材としていて、ありえそうです。楽しく読める作品でした。
猫の事件