蝶が二つ、もつれあい戯れながら庭に舞っている、それだけならありふれた何気ない風景だが、子規の視線が捉えた風景となると、また事情が違ってくる。 病床に臥せながらの視界は窓枠のサイズにまで狭まり、時間は余命の限界のすぐそこまで切迫している。 そして、それがいわゆる末期の飢えた目が捉えた蝶だとしたら、もはや子規にとっては、単なる蝶なんかではなくて、生命の輝き、つまり羨望そのものに違いない。 自分の命のともしびは、もはや限られた時間しか残されてなく、まもなく燃え付きようとしていて、自分でもそのことは十分に承知していながら、蝶の舞い飛ぶ姿をゆっくりと目で追っている子規の心境(当然焦燥感と諦念があったはず)を、この静謐な文章から誰が伺い知れようか。 たぶん、なんぴとといえど、それはかなわない、もともとそんなものは存在していないからだ。 子規の尽きることのない好奇心と澄みきった観察眼、執拗な写生が、迫り来る死の影にさえ曇らすことが出来ないということの証が、この文章だといえよう。 感想を書きながら、あることを思い出した。 あれだけある王朝時代の和歌に、蝶々を詠ったものがひとつもないらしい、本当だろうか、 まさか、その頃の日本に蝶々がいなかったわけでもあるまいし、ということで調べてみたそうだ。 そして、網野善彦の本に行き着いた。 それによると、鎌倉時代まで蝶は、非業の最期をとげた者の生まれ変わりと信じられ、不吉だとされて忌み嫌われ和歌には詠まれなかったという。 だからか、蝶の音読み(テフまたはデフ)はあるが、訓読みはないとか。 日本各地に残っている方言のなかの蝶の呼び名もすべて音読みの変種で、古訓のカハラヒコ❮今昔物語❯を受け継いだものはないそうだ。 ちなみに、カハラヒコは、タミル語から派生した古語だが、漢語に由来するtefu→choに押されて廃れてしまったらしい。 と、大野晋が書いている。 日本語のタミル語起源説、あれ、なかなか面白かった。