「浅草紙」の感想
浅草紙
あさくさがみ
初出:「東京日日新聞」1921(大正10)年1月

寺田寅彦

分量:約9
書き出し:十二月始めのある日、珍しくよく晴れて、そして風のちっともない午前に、私は病床から這《は》い出して縁側で日向《ひなた》ぼっこをしていた。都会では滅多に見られぬ強烈な日光がじかに顔に照りつけるのが少し痛いほどであった。そこに干してある蒲団《ふとん》からはぽかぽかと暖かい陽炎《かげろう》が立っているようであった。湿った庭の土からは、かすかに白い霧が立って、それがわずかな気紛れな風の戦《そよ》ぎにあおられ...
更新日: 2022/02/15
cdd6f53e9284さんの感想

荷風の「日和下駄」を読んだあとで、たまたま寺田寅彦のこの「浅草紙」を読んだ。 ただ、荷風のものは、失われゆく江戸文化を嘆きつつの散策を記録した叙情に満ちた郷愁の述懐であったのに対して、寺田寅彦のこの随想は、「科学的考察」の視点を保っている分だけ、冷徹に江戸庶民の叡知を、過剰な思い入れを廃して正当に証し立てることに成功していると言えよう。 江戸庶民は、貧しいながらも、知恵を出して現在の暮らし向きをより良いものにしようと懸命に努めた証しを、寺田寅彦は、この「浅草紙」に見出だしたのだ。 たまたまではあったが、このふたつの随想を同時に読むことができたのは、まさに偶然のなせる幸いであった。 そうそう、こちらは、紙漉きではないが、コンセプトをいつにする江戸庶民のイデオローグから発した奇想、襖の下張りから発見されたかの「いや~ん、ばか~ん小説」もあったではないか。