堕落は 制度の母体であるという。 民主主義は 個々人の 自由な成長と発展を 保障する意味での個人主義を 目的とすることは 異論はないと思う。 安吾の立論は この意味でも 至極当然と思う。
カラクリをつくりカラクリをこわす。それが進歩だ。 政治で言えば、与党と野党の関係であろう。カラクリをつくっただけでは独裁国家(戦時中)のままであり、敗戦(堕落)を機に、裸一貫でカラクリをつくり直すことが必要だ。 と言っているような気がする。 エイリアンが2作目が不評であるのと同じで「続堕落論」は書くべきではなかった。1作目を越えられない。
本作品は、著者の名著『堕落論』の続編的位置付けのものととらえられるが、愚生的には、先に上梓された『堕落論』の根底に流れる哲学、思想を平易かつ明解にしたもう一つの『堕落論』のように感じる。愚生としては、『堕落論』と本作品『続堕落論』は、併読されるのが良いと思う。また、近年、某脳科学者の方が、「人間は争いを止められない」旨の論を説かれていた。著者も同様のことを本作品中に謳っている。本作品は、真に人間の本質を衝かんとしていると思う。
いま昭和天皇の退位が安倍一族のによって政治利用されようとしている。もとより安倍に藤原道長や平清盛の叡智はない。ましてや彼らが文化を語る貧困な軽薄さ昭恵と共におぞましい。 そして天皇は小さな反乱で東日本大震災や度重なるその後の天災に訪れ天皇制のありがたさに平民? はひれ伏す。 安吾の堕落論はその天皇制に藤原氏以来の伝統を絡ませて象徴天皇制の矛盾を切ってみせる。尾崎のとく世界連邦論の限界に人間の対立を置く先見は、平成の世の預言でもある続堕落論の真骨頂なう。
「農村帰り」は今も似たような傾向がある。日本はまた戦争になるのかなぁ
読んでいてニーチェを思い出した。恐らく文章の勢いや、欲望を肯定して進歩を求める骨子が似ているからだろう。人間に関する洞察があり、文章力がある檄文といった感じ。『堕落論』よりも文芸的要素は少ないが、分かりやすく読みやすいので、彼の主張を理解するだけなら此方を読めば十分か。