普通に面白いし、あーてなった。
あまり無い意見で面白かった
特攻隊は闇屋になり未亡人は新たな面影によって胸を膨らませている。それを著者は堕落と定義しているようだが、社会を批評する言葉としては便利だが、両者とも戦後のドサクサをただただ生き抜きたかっただけであろう。果たして当人を堕落したと言えようか?
綺麗事で自分自身を騙したら終わりだと解釈した
まずは、現実に面と向かい、地に足が着くまで墜ちる、ということか。
それがどうした。あなたと私それぞれ違ってそれでよし。人の財布でわたしの腹はふくらまないので気にもとめない。
面白い
坂口安吾は頭のやわらかい人だと思った。 ここで言われてる堕落とは政治?国民的性癖?から定義された、人間から自由を取り上げる美徳に対しての堕落であって、そういう意味で既に堕落した現代で感じる退屈や怠惰のことを言ってるのでは無いと思う。 なのでこれは、今日的にも意義のある文章ではない、戦後の価値観を推し量るための重要な参考資料なのだと思う。
俺も堕落してるよ ただ、地の底を這うようにしてでも、生きているわけではなく、怠惰に身を任せて堕落してるから変な高度で地に足をつけれないまま堕落している。そんなんだから、離人感を感じてしまうのかね? 政治家は独走もなくただ支配するだけの人種(これは小林秀雄の言葉) という表現は凄いなぁと思った
世に歴史があるように各人にも歴史あり、世のうねりと人のある環境で最大幸福を求めてうめき声をあげつつ変遷していく。導く星は品性なのか快楽なのか。一瞬の一生は測ることも難しい
つまり、飾らずに、自分の欲求にどこまでも忠実に生きてみて(堕落)、その上でこんな自分は嫌だな、とか、これが足りない、などを感じることで、本当に自分に必要なものが分かってくる(救い)ってことですかね。 現代でも完全に通用する話で全く色あせない。こんなの戦後すぐに書いているというから、かなり先進的でかつ普遍的なことだと思う
もう一回読みたい、 ヘーゲルの絶対精神を少し思い出した
倫理で坂口安吾さんの『堕落論』を学んだ後だったので、 この作品を見つけた時あっ!と思いました。 当時の時代背景や、文明開化に対する坂口安吾さんの考え、小林秀雄さんの考えに対する反対意見など見れてとても興味深かったです!
難しかった。 でも言いたいことはわかったし共感した。
「人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。」 時代背景のなか やさしく心を 揉みほぐす。 人も国も正しく堕ちきることが必要と説く。 今日的な 意義もあると愚考した。
戦争下では「運命はあったが堕落はなかった」 戦後堕落が始まる。 人間の寿命は20歳で良い。 概念的には。 老いを憂い自殺する処女を称えたい。 あるいは 焼け野原の17-8歳の乙女の方が潔い。米兵に犯される前に奈落の底に死を選ぶだろう。 だが、いざ自分の事となると、60歳過ぎても命乞いをする。 これが人生の妙だ。 朽ちながら生きるのだ。 それしか道はないのだ。
堕ちて美徳を知り規定することで自身の美徳を自分の存在証明として決定する。そういう意味では大変読んでいて面白かった。堕落の先駆者が多くいるなか先駆者を見ずに自身で体験しようとするのは大変面白そうで同時に辛そうではあるがまたそれも一興だろう。
独特な考えでひじょうに、面白かったです。人間は落ちる動物だから、落ちてもいいところに落ちることは、大切だと思います。
人の堕落はどんなに防ごうとしても防ぎきれないものだと言うものを 痛感させられた。
よっ!魂の輪郭土木