「日本文化私観」の感想
日本文化私観
にほんぶんかしかん
初出:「現代文学 第五巻第三号」1942(昭和17)年2月28日

坂口安吾

分量:約57
書き出し:一「日本的」ということ僕は日本の古代文化に就《つい》て殆んど知識を持っていない。ブルーノ・タウトが絶讃する桂離宮も見たことがなく、玉泉も大雅堂も竹田《ちくでん》も鉄斎も知らないのである。況《いわ》んや、秦蔵六《はたぞうろく》だの竹源斎師など名前すら聞いたことがなく、第一、めったに旅行することがないので、祖国のあの町この村も、風俗も、山河も知らないのだ。タウトによれば日本に於ける最も俗悪な都市だとい...
更新日: 2020/11/09
19双之川喜41さんの感想

 安吾は 突き詰めれば 文化の 下支えは 真の生活にあると言う。 慧眼(けいがん)である。 「堕落論」と 底流は同じだと 感じた。 嵐山劇場の 便所も 出てきたりして 読みやすいと思った。

更新日: 2017/12/07
adf2f73fa530さんの感想

坂口安吾は自分のの身の丈からまずは観察する。行動する。そこから西洋知識人の日本文化礼賛の本質を自身の目で見直す。その結果凡人末席に連なるあちきのような無教養な人間は龍安寺の石庭に何か学んだフリをし、祇王寺に白拍子を見たフリをし、鑑真和上のゆかりの唐招提寺ひれ伏すフリをし、薬師寺の荘厳に修学旅行生の寄進はいかほど集まり、東塔の修復費用はすでに集まり、西の京の商売繁盛のたくましさに、天武持統天皇の安らかなる野口王墓の火葬の古墳を飛鳥に想う。 愉快にならねば日はくれぬ。秀吉が織田が頭によぎるが徳川家康はとんと無縁墓地なのはそのせいであるが、ご先祖さまは知恩院ゆかり。南無阿弥陀仏。 変幻自在に生きるのみ。つまり宇多田ヒカル歌う、Be My Last