奇妙な文語体の台詞を読みながら、「こりゃあ、当分、時間をつぶせるぞ」と楽しんで読んでいるうち、次第に、ある疑念に囚われてはじめました。「果たして、こんな奇妙な言葉使いでいいのだろうか」という単純な疑問です。 話す言葉によって所属する階層が、はっきり判断できてしまう階級社会の日本にあって、ここで使われている武士だか町人だかヤクザだか判別しがたいような自在な言葉使いのチョイスが、果たして正しいといえるのか、という疑念なのです。 そして、少し思いついたことがあって、青空文庫に坪内逍遙の「ハムレット」が収載されているかと確認しましたが、ありません。なるほど、なるほど。 自分が思いついたというのは、堤春恵の「仮名手本ハムレット」、坪内逍遙が「ハムレット」を翻訳し、さて上演という運びになりますが、当時の日本にはまだ西洋の演劇を演じた経験のある役者は一人もいない、いるのは、歌舞伎役者ばかりという絶望的な状況でした。 役者たちは、聞いたこともない見知らぬ西洋の事情を理解しようと必死に努力しますが、なにしろ日本は、つい数年前まで鎖国していたくらいですから、異国の事情など分かりようもないので、どう演じていいかもわからない。 しかし、そこで起死回生の物凄いアイデアがとびだします。 ハムレットと忠臣蔵の、仇を討つという近似性です。 忠臣蔵なら、これまで幾度も演じてきた歌舞伎役者たちです。 なるほど、これならよく分かる。 大石蔵之介に相当するのは誰々、吉良上野介に相当するのは誰々と、こうして、ハムレット上演の目処がついた、という傑出した芝居でした。 そうか、そうか、これならこの「ロミオとヂュリエット」なるものも、微妙な台詞の違和感など退けて心置きなく楽しめるというものです。 さて、さて、どこまで読んだんだったっけかなあ。変なことを調べなければよかった、分かんなくなっちゃったよお。
チャキリスという 映画俳優が 思い出されたりする。 当時の きわめて 開放的な 劇場の構造 歌舞伎にも在ると聞く約束事の数々につき 素養がないので 戸惑う。 序詞役とは 何。 過剰なルビが 鬱陶しいと感じた。
読みにくい シェークスピアの違う作品が読みたい
歴史小説を読んでいるみたいで、途中でやめてしまいました