作品が 掲載された 週刊朝日は 廃刊となった。文学作品の 中の 作者の 意気込みは 過ぎてしまえば 泡と 消え去ってしまう。産業廃棄物を 営々と 作りだし 地球環境に 負荷を 与え続けるのが 文筆業の 宿命とも 言えよう。なので むきになっての 反論は なんだかなあと 思わざるを えない。読み手にしても 同罪で 無意識のうちに 片棒を 担ぎ 続けていると 断罪されたとしても 応えようは ほぼ 無いのである。
筆者が憤りのような感情を以て書いているような印象を受けました。 それだけ作品にこだわりを持って、真剣に作成しているのだと思いました。 この感想も筆者からすると的外れだと怒られそうな気がします。
作者の思想(息吹) 何を書いて、何を書かなかったのか? から読み取って欲しい、と安吾は言う。 イヤだ! 読者にとって作者の思想など、どうでも良いことだ。 読者にとっては「読者」の思想が重要なのだ。仮に誤読をしたとしても、研究者でも無い限り、一般読者にとってプラスの人生になればそれで良いのだ。 学校のテストでは落第点かも知れぬが……… 確かに、丹羽(作家も研究者の位置付けとすると)が勝手な批評をしたことは、安吾にとっては甚だ迷惑な話で、業務妨害と言っても良い。 しかし、仮に 読者が丹羽の批評を信じ、「二十七歳」という作品を駄作だ、安吾でも駄作を書くのだ!であれば、俺なんか私なんか少々失敗しても頑張ろう、など逆に励まされることもあるのだ。 それはそれで、幸せなことである。 試しに、 「二十七歳」、再読してみる。