魯迅は 自分の背の 倍もある 質屋の台に 質草を差し出し その金で 背位の高さの薬屋で 父親の為の 薬を 買い求めたという。 頑丈な鉄部屋から 脱出する方法を 模索した。 傑出した人物であると思った。
魯迅の吶喊(とつかん)は、魯迅が未だ幼い頃、父親の薬を買いに漢方薬屋さんへ行ったが、そこでの売り場の自分よりも倍高いカウターや、売子の下げずんだ目線。看病の甲斐なく父親は病没する。科挙の勉強とは違う学校へ行ってらっしゃい西洋の学問を勉強して、日本の明治維新は西洋の医学から怒った事を知り、医学を学ぶが、その内に、医学が重要でなく、精神の改革が必要であることに気付く。魯迅は「新生」という文芸誌を出すが失敗した。後に同じような事をしている者から勧められて『狂人日記』を書いた。魯迅は、父親が無くなった時に感じた吶喊を、この文芸誌を書いていた人も吶喊を、感じているものとして、書いたのだった。以後、魯迅は文芸に進む。
教科書で読んだ『藤野先生』に通じる魯迅自身の経験が語られていて興味深い。