私自身も 話しが こんがらがるし 筋は通らず 出鱈目なので 日録を 記した者とは たいして 違いはないとの 自覚はある。桑原氏の 学術書に 依ると 親の病には 子たる者は 自らの 体の 一片の 肉を 切り取って 煮て 親に食わせる子は 良き人とされ 数千年間 これを 疑う人は 少数派とされたという。現在 露国や 中国などに おいても 狂気と 正気が 反転して 真摯に 考えを巡らす 人達の方に むしろ 大義があることは 普通に あると 想った。
桑原氏の学術書にもあるように 食人の習慣は さほど珍しくは無かったようだ。 とはいえ 迫害狂患者にとっては 大仰で 深刻な妄想となり 心の闇を彷徨したようだ。 痛いたしいと感じた。
魯迅の狂人日記は、自分は何時兄貴に食べられるのかと疑心暗鬼になっているオレの心の揺れ不安を描いているが、人間不信と人は未だ未だ進化成熟していないシナの現状をこの臆病で、疑心暗鬼のオレを、通じて訴えているのか?魯迅の文章は解釈はむずかしい。
周囲の人間がカニバリズムで、自分を食べようとしていると妄想する狂人の話。 リアルさを感じた。