面白かった。
なにかと小賢しい考えを巡らせてしまいがちな現代、少しでもイワンのような素直で優しい心を持って生きたい。時代を超えて子供たちに読んで欲しい作品。 タイトルを「馬鹿のイワン」ではなく「イワンの馬鹿」としたのはつくづく名訳だと感じる。
「イエス様がお恵みをくださるように」と 悪魔に向かって 言うので 穴のなかに 悪魔は 逃げてしまう。 どこかの国で 流行りの働きかた政策は 実は 背後で 悪魔が糸を 引いていたかもしれないなんて 痛烈な皮肉に見えてしまう。
痛烈な資本主義の批判ですね。資本主義も地球環境問題との関係から、限界が来ているとも言われてます。今ある社会主義は失敗した社会主義ですが、欧米を含めて世界全体が社会主義(ソ連型社会主義でない)になることもあるかもしれません(革命とかでなく、自然な成り行きでです)。トルストイの論理だとロボットが全て人類の仕事をするようになったら、人間は食べられなくなるのかな?という疑問は残りますが。
イワンは馬鹿で、考えることが苦手だけれど、自分のめしは自分で作るように、努力を怠らない人だと思う。兄二人はあの国で生きていけたのだろうか、、、
純粋で無欲なイワン。 純粋さを貫くには強さが必要だと思う。 欲や狡さに流されて生きる方が楽だから。
なにかとてもほっとしました。 わたしは、主人公のようになりたいと思います。
「馬鹿」… 何回出てきたでしょう… 子供の頃は、この直接的な言い回しがおもしろくって、 この物語の表題は無意識に心の片隅シミのように残っていました。 不惑を迎え、読み返して見れば 何と痛烈な皮肉… しかし、掲げた理想は、現実では半ば萎れてしまい、輝きを失って… 持って行き場のない感情に悶える作者の姿が想起されてきます。 菊池寛先生が訳されたのですね… 馬鹿… 表現のなかに 何というか、愛情を感じています… 名著でしょう…
社会主義の宣伝に使われたというのもなるほどと思える話でした。しかし、べつに社会主義賛美とまで感じるような作品ではなく、面白かったです。 イワンの国は素敵ですが、ここでこうして暮らしたいかと聞かれれば、正直NOです。私は、もう長いこと資本主義社会で生きてきたものですから。
為になります。以前流行ったパパラギのロシア?バージョンのような気がしました。 でも私達はイワンのような生き方が出来るのでしょうか❗
素晴らしい。現代社会では忘れてしまいそうになる、生きるためだけに働き、 見返りを期待せず人に親切にするということが、どういう結果になるかということを、小説の形で教えてくれている。
昨年、古希を迎え自分の生き方を 振り返っている時でした。 ただただ働き、二人の息子を 医師に育て、それ以外何も残っていません。とても虚しいと考えていました 25年前に、カトリックの洗礼を受けました。今も、お祈りの会に参加したりしていますが、信仰もあやふや 時として、ファッションの一部では? と自信なく生きています。 そのなかで、新聞で、トルストイに 感銘を受けられた、北御門先生の 魂の自由をもとめてに強くうたれ、 なぜ、青春時代にぼーっと過ごしてきた事に、猛省今更人生論、遅いとは 思ったり、しかし、ここに 自分の求めていたものが見つかったように、嬉しくなりました。 キリストのみなによって
シンプル
イワンの馬鹿 いや、ひょっとしたら天才かも
はじめて読みました。社会主義の宣伝使われたこともあったようですが、無欲で執着のないイワンは仏教説話にも出てきそうな人物でした。 「もっとばかになれ」という言葉はイワンのようになれという申し入れかも知りませんね。
やっぱり面白い
昔、読んだ記憶があります。 改めて読んでみると、思いがけず面白かったです。
「人間とは何か」、「人生とは何か」、「生きるとは何か」、「何故働かなければならないか」という人生における普遍的な問いを、非常に分かりやすい文章によって明快に解かれていました。特に「お金」や「権力」に取り憑かれた人間の愚かさがユーモラスに描かれており、老若男女問わずどのような年齢層の方でも楽しめると思います。