「炎天汗談」の感想
炎天汗談
えんてんかんだん
初出:「芸術新聞」1942(昭和17)年8月

太宰治

分量:約3
書き出し:暑いですね。ことしは特に暑いようですね。実に暑い。こんなに暑いのに、わざわざこんな田舎にまでおいで下さって、本当に恐縮に思うのですが、さて、私には何一つ話題が無い。上衣をお脱ぎになって下さい。どうぞ。こんな暑いのに外を歩くのはつらいものです。パラソルをさして歩くと、少したすかるかも知れませんが、男がパラソルをさして歩いている姿は、あまり見かけませんね。本当に何も話題が無くていけません。画の話?それ...
更新日: 2022/04/25
cdd6f53e9284さんの感想

なぜ、太宰のこの小文を読んだのか、から始めよう。 実は、ドストエフスキーの「てんかん」について検索していたら、この「炎てんかん談」がヒットしたという、ただそれだけのこと。 別にスルーする必要もないので、ついでと言っちゃあなんだが、とりあえず読んでみた。暇だし。 そんなの有りか? 当然、有りだ。 堂々と言おう、どんな形であれ、その後の関わり方が大事なのであって、そもそもの出会いなんて問題にするようなことじゃない。男女関係もおなじだ。 こんな読み方をしたら太宰が怒るとでも? それも違う。 この文章を読んでピンときた。 太宰は、批評家からマンネリを批判されて、その腹いせでこの文章を書いたのだ。 変わらないこと、現状維持、十年一日、そういうことって、とても大変なことなんだぞ、といっている。 持ちこたえるための労力や努力を人知れず必要としているからだ。 太宰は、他人から批判されるのを最も嫌う、劣等感を優越感でカモフラージュしたナーバスで、とても厄介な作家だ。 だから、正面切った反論は、とてもできないから、他人からの批判をバネにして、創作につなげていった、この「炎天汗談」もその好例だ。 太宰治という作家は、優れたカウンターパンチャーだったかもしれない。 そう考えると、誤検索で寄り道どっぷりの自分などは、さしずめカウンター読チャーというところか、 なにそれ? 〈本来の「てんかん」についての調査〉 てんかんは、脳の神経細胞が過剰に興奮することで、体の自由が一時的に効かなくなるなどの発作を繰り返す病気。 発作には、いくつかのタイプがある。 脳全体が興奮する全般発作は、突然意識を失って全身を痙攣することが多い。 脳の一部が興奮する焦点発作は、手足の突っ張りや吐き気など様々な症状が起きる。 症状だけでは、失神や心因性の発作と区別が難しいことがある。