「野口英世博士の生家を訪ひて」の感想
野口英世博士の生家を訪ひて
のぐちひでよはかせのせいかをおとないて

(野口記念館の設立を希望す)

(のぐちきねんかんのせつりつをきぼうす)

土井晩翠

分量:約7
書き出し:東京朝日新聞に、『世界人の横顏』の第十六回野口英世のそれが、北島博士の筆で面白く書かれたのを讀んだのは半年前である。甚だ漠然としてゐる言葉だが『世界人』とは文明世界一般に廣く知られてゐる偉人といふ意味であらう。但し名が喧傳すると共に眞に世界の文化に貢獻して多大の恩惠を施し、その報として眞に受くべき光榮を世界から受けた人なら一層ありがたい、文字通りにも有り難い、野口は正にかゝる種類の世界人で、日本の...
更新日: 2022/05/11
cdd6f53e9284さんの感想

小学生の頃、学校の図書館に「世界の偉人伝」が何冊も並べられていて、その壮観さに魅せられ、全巻をすべて読んでみたいという誘惑にかられた。 実際には、ほんの数冊しか読めなかったが、しかし、とにかく、読書の楽しさと、一冊の本を読み切る充実感を知った。 その偉人伝の中には多くの日本人も含まれていたが、小学生にダントツの人気だったのは、やはり「野口英世伝」だった。 借り出されることが多く、同じ「野口英世」が複数冊用意されていたのに、どれもに散々読み廻されたらしく、ヨレヨレのクタクタ感が顕著に際立っていた。 なぜ当時の子供たちに野口英世が あれ程の人気があったのかは明らかだ、 この土井晩翠の文章にある通り、世界からの評価が他の偉人に比べて半端ではなかったからだろう。 当時はまだ、かなり世界から立ち遅れていて劣等感を抱えていた日本は、世界から評価されることに飢えており、そのなかで野口英世の欧米での評価は、子供たちにも大いなる自信を与える格好の素材だったに違いない。 野口英世は幼児の時、手に火傷を負いながらも極貧のため満足な治療が施されず障害が残り、そのハンデを克服して学問に励み大成したという分かりやすい逸話も子供たちの感性に響いて、教材にはぴったりだったのだと思う。 その後、成長するに及んで、渡辺淳一の「遠き落日」を読んだりして、イメージ的には若干の変化をきたしたとはいえ、ニッポンの偉人たる堂々たる地位はいささかも揺らいでいない。 いないのだが、後になって、野口英世の発見した黄熱病菌は誤りだったという後日談を聞いた。 その発見された病原体名はイクテロイデスといい、それに基づいてワクチンを作ったが、どうも効かない。 次第に疑問が出始めて、反論も起こり、やがて、黄熱病は細菌ではなく、ウイルスによるものだと分かって、ストークスらが黄熱病ウイルスの分離の栄誉を担い、野口英世の仕事は方向自体が完全に誤りであったとされ、以後省みられなくなったという。 裏には、ロックフェラー研究所が確認をはしょって発表を急いだことと、東洋人の研究員という野口英世の微妙な立場からの気負いもあり、孤立して古風な個人的功名心から先走ったという事情もあったらしい。 どうも野口ワクチンが効かないらしいという噂を背にして現地アフリカに乗り込んでいった野口英世は、野口ワクチンを打っていったのだが!黄熱病にかかって落命した。 この偉大な研究者の死の報が世界に発信された時に、同時にささやかれたのが自殺説だった。