広く読む。 深く読む。 読書過剰を 懸念することはないという。 さらに 精神生活の高みに登るためにも 読書は必要とするのは 倉田の 特徴と思う。
▼読書は、他人に考えてもらうこと、とは確か、ショウペンハウワーの言葉だったと思う。従って、読書そのものが勉強、ましてや研究ではない。 ▼しかし、読書なくして勉強も研究も始まらない。音楽を一度も聞いたことがない者に作曲はできないように、読書しなくて、文章は書けない。息をするように、顔を洗うように、歯を磨くように、日常家事として、読書はしなければならない。 ▼読書について、なる本があること自体、大いなる矛盾である。なぜなら、読書を薦めるべき対象の馬鹿学生は読書について、なる本ですら決して読まないからだ。
哲学者の読書論だが難解でなく、妙に納得した。80年前の読書論とは思えない、目から鱗の現代に通じる読書論!