読み終えて、この小説の感想を是非とも書きたいものだと意気込んでみたのだが、最初の一言が出てこない。 感銘を受けた、それは確かだ。しかし、それは、ちょっと違和感の残る「感銘」かもしれない。 自分が持っている文学全集の末尾の作品解題(塩田良平)には、こうあった。 ❮窮乏から来る人間の堕落に注目して、女房のお源を自殺せしめているところに独歩のモラリズムがあるが、この作における彼の写実主義は一段と冴えたものになり、庶民性に対する興味が高まってきたこと示す。 独歩はこういう庶民が醸す悪が如何なる社会矛盾によって起きるかについては、ついに説明しようとはしなかったが、彼の現実感が一歩立ち入ってきたことを示す作品といえよう❯ だってさ。 なんの説明にも、なんの解釈にもなってない、言っていることは、ただひとつ、「如何なる社会矛盾によって起きたかの説明がない」だとさ。 つまり、左がかってないからダメだという説明だ。 これで文芸批評の積もりだとしたら、頭を疑わざるを得ない。 隣家の女房お源が首をくくった理由が、社会矛盾や貧しさのために為されたと結論しようというなら、そもそも文芸批評なんてものは必要ないのだ。 絶望的な貧しさからの救いの手も期待できず、似たような境遇で、似たように強張った性格形成を成した女同士が、互いに意地を張り合って、一方が一方に罠を掛けて追い詰め、女房お源は悔しさに自死を選ぶ。 そして、亭主は、また同じような女房と一緒になって、同じような廃屋に住まう。 いくら考えても、これは社会矛盾について書かれた物語なはずがない。
極貧(ごくひん)の植木職人に 懇願(こんがん)されて 生け垣に 木戸を作ることを 許してしまった。 炭泥棒の通り道を 用意したようなことになり 挙げ句の果てに 縊死者までだす。 冷飯に 湯をかけただけで 食事をすます困窮ぶりが 凄いと感じた。
落語『芝浜』みたいな展開かと思えば大変な事になった。心を汚すと、生きていられないのだ人間は。