「温浴」の感想
温浴
おんよく
初出:「群像 第五巻第四号」1950(昭和25)年4月1日

坂口安吾

分量:約9
書き出し:今の家へは、温泉がぬるいというのを承知の上で越してきた。伊東は市ではあるが、熱海とは比較にならないほど、ひなびている。けれども温泉場であるから、道路には広告塔があって休むことなく喋りまくり唄いまくっているし、旅館からは絶え間なくラジオががなりたてて、ヘタクソなピアノもきこえる。先方も商売であるから、静かにしろ、と云うわけにはいかない。よそは住宅難だが、伊東には売家も貸家も多い。伊東は海山の幸にめぐ...
更新日: 2022/05/21
cdd6f53e9284さんの感想

ぬぬ! タイトルを見て思わず、これは面白そうだと意気込んで読み始めたのだが、読み進むうちに少し勝手が違うので、改めてタイトルを見返した。 な~んだ、「温浴」か。 「混浴」と読み間違えた。 損した、とは思わないが、そうと分かっていれば、あえて読まなかったかも。 しかし、だいぶ読み走ってしまったので、仕方なく最後まで読むことにした。 そして、当初の「な~んだ」は、見事的中した。 坂口安吾という人は、本当に無器用なくらいに生真面目だ。 太宰なら、最後にどんでん返しを仕掛けて読者を楽しませ、自分も楽しんでいるサービス精神と余裕とを感じるのだが、安吾には、その辺の遊びがまったくない。 この文章も、最後に「温浴の効用」をお座なりに解いて締めているのだが、「だから、どうした」という気分しか残らない、結局は、自己中心的なだけなのだ。 これでは、読者に思いは伝わらないし、印象にも残らない。 こういってはなんだが、太宰には、「美少女」という、凄烈な混浴小説があったぞ。 まあ、あれが読者へのサービスのために書かれたものとは思わないが、自分にとっては、しっかり「サービス」として伝わってきた。 太宰くん、きみの思いは、しっかりと受けとめたからね。あの美少女の裸身とともに。