「流言蜚語」の感想
流言蜚語
りゅうげんひご
初出:「東京日日新聞」1924(大正13)年9月

寺田寅彦

分量:約6
書き出し:長い管の中へ、水素と酸素とを適当な割合に混合したものを入れておく、そうしてその管の一端に近いところで、小さな電気の火花を瓦斯《ガス》の中で飛ばせる、するとその火花のところで始まった燃焼が、次へ次へと伝播《でんぱ》して行く、伝播の速度が急激に増加し、遂にいわゆる爆発の波となって、驚くべき速度で進行して行く。これはよく知られた事である。ところが水素の混合の割合があまり少な過ぎるか、あるいは多過ぎると、...
更新日: 2022/05/14
cdd6f53e9284さんの感想

青空文庫には、同じタイトル「流言蜚語」で寺田寅彦の愛弟子の中谷宇吉郎の随筆も収録されている。 内容の趣旨はともに、非科学的な「流言蜚語」などに惑わされるなど愚かなことだと軽く一蹴し、流言に踊らされる愚衆を苦笑ぎみに難じているのだが、果たしてそれだけでいいのか。 一蹴するにしては、あの流言蜚語によって起こされた無惨な被害はあまりにも大きすぎはしないだろうか。 大正12年の関東大震災において、流言に惑わされ、煽られた人々によって朝鮮人、中国人、社会主義者、あるいは自警団の検問で前記に該当しないことを即答できなかった一般人(その中には吃音、聾唖、容貌まで)も、つまり、疑わしい者はほぼ全員、誰彼構わず6000名余が虐殺されたこの深刻な狂信は、単に「一蹴」するだけでは、あまりにも重大すぎはしないかと思ったのだ。 その意味で、中谷随筆の方は、大震災から時間がだいぶ経過しており、そのためにだいぶ冷静を増して分析的なために臨場感に欠け、まだしもリアルを留めている寺田随筆をチョイスすることにした。 流言蜚語などと客観的な言葉で言い括ってしまうと、まさかそんなものを信じるわけがないと平時なら誰もが思うかもしれないが、毎日配達される新聞に連日こんな見出しが掲げられていたらどうだ。 「不逞鮮人水道に毒薬を投ず。不逞鮮人隊をなし横行し石油缶及び爆弾を携えて各所に放火」(小樽新聞) 「横浜横須賀市街は鮮人跳梁跋扈しさながら修羅場と化す。宇都宮全市の暗殺を図り水道に毒薬を投入の事実を発見。帝都の全滅を図った」(函館毎日新聞) いずれも地方紙だが、だからこそ流言蜚語の歪んだ尾ひれを付けて波及していく様子が、当時の記事を時系列に並べるだけでも窺われる。 そして、この脅迫的言辞に煽られる恐怖心から、自衛のための殺意❮殺られる前に殺ってしまえ❯に至る「集団的ヒステリー気味の逆上」が、いとも簡単に醸成されることは多くの歴史的事実が証明している。 「現代史資料6 関東大震災と朝鮮人」に掲載されている警視庁管内各署からの報告が、生々しく当時の緊迫した様子を伝える。 「9月1日午後4時、突如として、鮮人放火の流言管内に起こり」(王子警察署) 「9月1日午後6時頃鮮人襲来の流言初めて管内に伝わりしが、同時に警視庁の命により制服、私服の警戒隊員を挙げて、芝園橋、芝公園その他の要所を警戒せしが、ついに事なきをもって同7時これを解除せり」(芝愛宕警察署) 「9月1日、鮮人は東京市の全滅を期して爆弾を投ぜるのみならず、更に毒薬を使用して殺害を企う風説あり」(巣鴨警察署) 「同日薄暮、自ら本署に来たりて保護を求めあるいは、署員に依りて検束せる者を合わせて支那人11名、鮮人4名、内地人5名を収容」(神田外神田警察署) 「同日午後8時、鮮人暴行の流言が伝わり、之と同時に鮮人に対する迫害も亦開始せられ、本署に同行し来る者多数に上りし」(小松川警察署) 「根岸町相沢及び山元町方面においては9月1日午後7時頃鮮人約二百名襲来し、放火、強姦、井戸に投毒の虞ありと浮説寿警察署管内中村町及び根岸町相沢山方面より伝わるとて、部民の一部は武器を携帯し警戒に着手し該浮説は暫時山手町及根岸桜道方面に進行伝播せり」(山手本町警察署) さらに9月2日になって流言は、肥大する。 「鮮人約三千名、既に多摩川を渡りて洗足村及び中延付近に来襲」(午後2時) 「大塚火薬庫襲撃の目的を有する鮮人は、今や将にその付近に密集せんとす」(午後4時) 「鮮人は予てより、ある機会に乗じて、暴動を起こすの計画ありしが、震火災の突発に鑑み、予定の行動を変じ、夙にその用意せる爆弾及び劇毒薬を流用して、帝都の全滅を期せんとす。井戸水を飲み、菓子を食するは危険なり」(午後6時) 「鮮人約二百名、中野署管内雑色方面より、代々幡に進撃中なり」(午後6時) やがて、9月3日になると、ついに亀戸警察署が、「鮮人暴行の説は流言にすぎない」と発表し、さらに警視庁が、次のような告示を出す。 「昨夜来一部不逞鮮人の妄動ありたるも今や厳重なる警戒により其の跡を絶ち鮮人の大部分は順良にして何ら凶行を演ずる者之無く······」 しかし、文言中の「一部不逞鮮人の妄動ありたる」が、流言に油を注ぎ、朝鮮人を収容しようとした巡査が襲撃され重傷を負うという事件が起こり、4日9時頃には、「上野公園及び焼残地域内には、警察官に変装せる鮮人あるにつき注意すべし」の噂も流れた。 そして流言は、脅迫観念の部分だけ強調され、尾ひれを付けた怪しげな目撃者談話という形をとって、誠しやかに地方紙へと広がり報じられた。 「憎むべき不逞鮮人、放火は彼らの仕業、死地を免れて日本電報通信社鹿子木氏の談」(河北新報9月3日) 「ほとんど全滅の横浜、看守が囚徒を指揮して二千の不逞鮮人と戦う、知事は重傷で立てず、大日本石鹸株式会社専務·細田勝一郎談」(河北新報9月3日) 「横浜方面から鮮人三百名押し寄す、爆弾を投じ略奪をなす、東京電気学校生徒西郷正秀君談」(北海タイムズ9月6日) 恐怖がデマを生み、デマが恐怖を煽り、その恐怖が自警団による朝鮮人虐殺を引き起こし、それがまた「不逞鮮人の襲撃」と映り、テロを生み出した。恐怖の連鎖だ。 犯罪を取り締まるべき兵隊も、ここぞとばかり虐殺に加わったが、彼らを煽り虐殺へと誘導したのは新聞だった。 大衆に迎合した新聞は、彼らの恐怖と逆上を先取りして煽り立て、日本が徹底的に破壊し尽くされるまで、一貫して戦争への死の案内役を演じ続けた、まさに「死神」だった。 現在でいえば、さしずめ不潔なワイドショーだろうが、無定見な迎合振りは同じでも「死神」ほどの迫力はあるまい、せいぜい愚劣な道化師か、CMからCMまでの空虚な時間を無意味なお喋りで埋める惨めな幇間というところか。 いずれにしても、テレビ局という巨船が沈没するまでの茶番に過ぎないとすると、コメンテーターなるものは、憐れなトブネズミということになる。

更新日: 2022/02/15
19双之川喜41さんの感想

 爆波の伝わりは 源から始まり 科学的な条件のもとに 広がると言う。 例えば  大きな地震の 噂▫ 毒薬の井戸への投げ込みの 風評▫ 爆弾 などなどは 物理的な条件と類似している。 科学的な省察の機会と余裕を持てば 流言であることは 判明すると思った。

更新日: 2016/07/19
芦屋のまーちゃんさんの感想

ちょっと考えてみれば流言蜚語が偽りか真実かは判断できる、と言っている。 物理学的見地からすれば一目瞭然のようだ。 流言蜚語の成り立ちは、 ①流言の源が存在すること。 ②伝搬する媒体が存在すること。 である。 火のない所に煙はたたぬ!!! 流言蜚語と上手く付き合って行く方が利口のような気がする。