一つの文章が、ながすぎるんじゃぁあ
かねがね幸田露伴の「五重塔」を、とても残念な作品だと思い続けてきた。 それは、長い時間を費やして、ようやく最後のページまで読み終えたときに、そこで待っていたのが、意外にあっけないハッピーエンドだったからだ。 これは自分の持論なのだが、いままでよく冗談で、 「この小説の最後が、もう少し悲劇的な結末だったら、三島由紀夫にも影響を与えて『金閣寺』くらいは書かせていたのになあ」 とボケておいて、 「はあ~!?、とっくに書いてるよお」 というリアクションをもらってから、 「えっ! そうなんだあ」 とか言って笑いをとるのを社交辞令と心得てきたのだが、マジな話、半分は本気だった。 人物設定に落語ほどの客観性はないし、そうかといって、山本周五郎的な割り切った人情話としての踏み込みも足りないように思える、そして、そのうえのサクセス·ストーリーときているのだから、要するに、読者として、のっそり十兵衛という人物への思い入れを結局は持てなかったのだと思う。 こんな感じで、この小説の印象は、半固定観念として、わが記憶の然るべき引き出しの中に仕舞いこまれてきたわけだが、つい最近になって、驚天動地の映像に遭遇した。 あの感応寺五重塔が、ものの見事に炎上しているではないか、その日付は1957年7月6日、心中事件の道ずれに火をつけられたのだという。 思わず私は叫んだのである 「でけた! でけました! 三島くん、あの炎上をよく見たまえよ、そっちじゃない、こっちだこっち、あれこそが、君がかねがね言っていた『金閣寺』とかいう小説のイメージなのではないのかね、そうだろう、いや、そうだそうだ、そうに違いない、えっ、なんだって、ならば小説の書き出しはどうすればいいかって。それを私に聞くのかね。む~ん、そうだねえ、こんなのはどうだ、『幼児から父は、私によく、金閣のことを語った』いいだろう、これなら、ストーリーがどこまでもひろがるかんじだぞ、ても、ひとつだけいっとくがよ、わしの名前を出さんといてくれよ、ええな」 かくして、これでやっと、わが「五重塔」も完結したのであります。 まあ、こんな感じ? だめかなあ?
十兵衛の独力で 塔を建立したいというこだわりには 呆れ返る。 周りの人を しかも 条理わけて説くのを 蹴散らして 思いを通してしまう。 そこで 嵐に耐える塔もさることながら 心理描写に 感心する。