「頑執妄排の弊」の感想
頑執妄排の弊
がんしゅうもうはいのへい
初出:「文學界 五號」文學界雜誌社、1893(明治26)年5月31日

北村透谷

分量:約7
書き出し:宇宙を観察するの途《みち》二あり、一は宇宙を「死躰」として観《み》るにあり、他は宇宙を「生躰」として観るにあり、人生を観察するの途二あり、一は人生を今世に限られたるものとして観るにあり、他は人生を未来に亘るものとして観るにあり。爰《こゝ》に於て吾人は知る、人間世に処するの途は、現在に希望を置くと、未来に希望を置くとの二岐に分るゝあるのみ。更に去つて歴史を観るに、盛衰興亡の端多く、一去一来の跡空しき...
更新日: 2017/07/09
b9ef941530ccさんの感想

北村透谷の頑執妾排の弊は、唯物論、唯心論よ善悪論と、彼なりの論理思いつきで論じている。内容はさっぱり分からず、説得力もなく、没の作品です。