「富嶽の詩神を思ふ」の感想
富嶽の詩神を思ふ
ふがくのししんをおもう
初出:「文學界 一號」女學雜誌社、1893(明治26)年1月31日

北村透谷

分量:約7
書き出し:空《くう》を望んで駿駆する日陽、虚に循《したが》つて警立する候節、天地の運流、いつを以て極みとはするならん。朝《あした》に平氏あり、夕《ゆふべ》に源氏あり、飄忽《へうこつ》として去り、飄忽として来《きた》る、一潮《いつてう》山を噬《か》んで一世紀没し、一潮退き尽きて他世紀来る、歴史の載するところ一潮毎に葉数を減じ、古苔《こたい》蒸し尽して英雄の遺魂日に月に寒し。嗟吁《あゝ》人生の短期なる、昨日《き...
更新日: 2017/07/10
b9ef941530ccさんの感想

北村透谷の富嶽の詩神を思うは、透谷の富嶽に対する独りよがりの思いを書いたもの。意味不明。