「かなしみの日より」の感想
かなしみの日より
かなしみのひより

素木しづ

分量:約20
書き出し:彼女は、遠くの方でしたやうな、細い糸のやうな赤ん坊の泣き声を、ふと耳にしてうつゝのやうに瞳を開けた。もはや部屋のなかには電気がついてゝ戸は立てられてあった、そして淡黄色《うすきいろ》い光りが茫然《ぼんやり》と部屋の中程を浮かさるゝやうになって見えた。『一寸もお苦しくは御座いませんか。気が遠くなるやうじゃ御座いませんか。』彼女の瞳がうっすらと開いたのを見て、色の黒い目っかちのやうな産婆がすぐ声をかけ...
更新日: 2024/04/30
19双之川喜41さんの感想

 素木(しらき)さんは 稀にみる 才能の 持ち主で 散文が たくまずして 韻文に なっているような 趣がある。 私の 亡母と 同窓という こともあり 愛読している のである。幼子の 誕生日を 喜びの日と 表すと 何かが 崩れ去って いくような 気がかりから あえて このような 題名を えらびあげたのかもしれないと 感じた。むしろ 産婆-医師-髪結い-近所の子持ちの女性なと 誕生を巡る 登場人物からも 多く 喜びが しみじみと 伝わると 思った。

更新日: 2022/03/15
3afe7923d6ecさんの感想

この小説は、女性だけが経験しなければならない分娩の苦しみを、悲壮感をもって記されている、思わず目を覆いたくなるほどの壮絶なドキュメントだ。 ドキュメントと口走ったのは、この小説が、生死を賭けた、あまりにも切実な迫真の臨場感に満ちているからだし、加えてこの作者が、夭逝の作家素木しづ、ときているので、いやがうえにも、その悲壮感は倍加せざるを得ない。 そんなことを考えていたら、いままで見聞きしてきた悲喜こもごもの三つのエピソードを思い出したので、後世のために、ここに書き残す。 第1のエピソード。 何かの用事で会社の同僚の家を訪ねた際、仕事も意外に早く済み、じゃあ一杯やろうと飲み出したら夕方になってしまい、奥さんから夕飯まで振る舞われた。 そのうちに小学生の男の子が遊びから帰ってきた。 もう、とっくに7時を過ぎていて、外は暗い。 「遅いじゃないの、食事までには、ちゃんと帰ってきてねって言ったでしょう」と奥さんの強めのお小言と、まあいいじゃないかと、取りなすご主人。 さらに奥さんは「○○ちゃんは、遅いわね」と、付け加えた。 食事も終わり、そろそろ帰ろうと思うのだが、もう一人の子供が帰ってこないのが気掛かりだ、 しかし、夫婦も子供もそれを気にしている様子がまったくない。 あえて聞くのも憚られるような落ち着き振りなので、その日はそのまま帰ることにした。 翌日、その同僚に聞いた。「あれから子供は、帰ってきたの?」と。 彼は、声をひそめて、こう言った。 「妻は、むかし、一度流産したことがあるのだが、そのことを認めていない。認めたら最後、その時は本当にあの子が死んでしまうと思っている。だから、家族の中だけでも生きていることにしている、別に気が変なわけじゃないから、自分も同意しているのだ」と。 第2のエピソード。 自分の息子が近所の幼稚園に入園した時の話。 妻から担任の先生が若くて物凄い美人だというので、後日、美女拝観に伺ったら、もうビックリ、女優やった方がいいんじゃね、くらいの日本人離れした超美人だ。 既婚者ということだったが、それならこちらも既婚者だ、恋に上下の隔てがあろうや、てなことで、幼稚園の行事には、積極的に参加していたところ、先生は産休でしばらくお休みしますとの通知がきた。 そして、しばらくして、産後のひだちが悪くて亡くなったという訃報がきた。 「あの若さで!」 驚きのあまり、言葉もなく、しばらく、呆然としてしまった。 数年後に郊外に転居した。 転居した土地に早く馴染むために、地区役員を積極的に引き受け、ご近所とできるだけ親しくするように努めた。 ある日、妻が近所の奥さんと世間話をしていて、こんな話を聞き込んできた。 ご近所の○○さんのお嬢さんが、何年か前に亡くなったんですって、と。 その名前は、あのとき亡くなった幼稚園の先生と同じ名前だった。 い~やあ、そんな偶然あるわけないだろう、と半信半疑ながら、翌日、妻はさりげなく確かめて、やはり、その人だった。 すべてを話した方がいいのか、それとも黙っているべきなのか、妻と相談した結果、黙っていることにした。 今日も老夫婦は、穏やかな笑みをたたえて、庭の花の手入れにいそしんでいる。 もはや、愛娘の死の悲しみも遠い記憶となり徐々に薄れている今頃になって、ふたたび、どうにもならない悲しみを老夫婦に思い出させ、心を掻き乱す権利など誰にあるだろう。 今日も地区役員として回覧板を届け、端正込めて見事咲かせた花々を褒め、辞して帰る、それでいいのだと思いつつ。 第3のエピソードは、こうだ。 サラリーマンをしていた頃のこと、同じ年の女性と隣り合わせになっていた。 ある日、2週間ほど休暇をとるから、自分に電話があったら、休暇明けに、こちらから連絡するむね答え、先方の名前だけ控えて置いてくれれば助かると、 おやすい御用だ、そうでなくとも、常日頃、外を飛び回っている彼女の不在のときは、そうしているのだから。 しかし、なぜ休暇をとるのかまでは聞かなかったのだが、あとでお産のためだと知って驚いた。 お腹なんか全然目立たなかったし、第一結婚していたことも、知らなかった、それに、お産して2週間なんかで復帰できるものなのか、どれも疑問ばかりだが、あえて聞くのも憚られる、突然「セクハラ野郎!」などと胸ぐらをつかまれて罵られないとも限らない、危ない世の中だ、それにそんな情報など知ったからといって、どうなるものでもない。 それからきっちり2週間経って会社復帰した彼女は、「ヨッ、しばらく!」と、何事もなかったかのように皆の前に元気に現れ、再びバリバリ仕事を始めた。 こちらから雑談を仕掛けるのが憚られるくらい忙しそうなので、なかなか話し掛けづらかったのだが、思いきって聞いてみた。 「お産、どうでした?」 「えっ、あ、あれ。全然、大丈夫だったよ、アンガトね」 「でも、少しは、大変だったでしょう?」 「う~ん、そうだね、大きなウンチする感じかな」 ドン引きする自分に彼女は畳み掛けて「あんたさ、暇してんだったら、これやってくんない」と、書類の山をこちらにドカンと投げつけてくるのであった。 さて、どのエピソードを信じるか、それはあなた次第です。 でもさ、こんな厳粛な小説に、こんなコメント書いていいのかよ。