「春昼」の感想
春昼
しゅんちゅう
初出:「月刊文章 第五巻第六号」1939(昭和14)年6月1日

太宰治

分量:約2
書き出し:四月十一日。甲府のまちはずれに仮の住居をいとなみ、早く東京へ帰住したく、つとめていても、なかなかままにならず、もう、半年ちかく経ってしまった。けさは上天気ゆえ、家内と妹を連れて、武田神社へ、桜を見に行く。母をも誘ったのであるが、母は、おなかの工合《ぐあ》い悪く留守。武田神社は、武田信玄を祭ってあって、毎年、四月十二日に大祭があり、そのころには、ちょうど境内の桜が満開なのである。四月十二日は、信玄が...
更新日: 2023/04/05
やちまるさんの感想

何気なく続くとりとめもない会話と美しい情景の対比が面白い。 桜は、こぼれるように咲いていた。 最後の一行で目を閉じて想像して、見えない春を感じる。 穏やかな気持ちと寂しい気持ちが同時に押し寄せた。

更新日: 2020/04/04
8ca17a493fb8さんの感想

太宰も、産まれた日付とその亡骸が見つかった日付が同じというに、当然知るよしもないが。波乱に満ちた生涯であれど、こうして家族水入らず、桜を見ていたことに何だか驚いた。私がいかに偉人たちに対して偏った印象でいるか。偉人である前に、子であり、親であり、配偶者であり、元より人間であろう。それ故に悩むのである。苦しむのである。人間というものは。