ふつう。
どの位置から撮影するか?というのを決めるのは監督の感性であり、主観的要素から判断される。映画評論家や我々観客でも判る客観的必然性など存在しないらしい。しかしながら、有名な監督であれば、スティルバーグならこう撮るだろう、とか如何にも黒澤らしい、とか撮影手法に客観性、必然性を持つこともあると考える。但し、その黒澤映画の中にも「らしくない作品」があっても許される。自由なのだ!もしその自由を奪われるとすれば、もはや映画が映画でなくなってしまう。監督の重要性は映画界では俳優以上に大きいのであろう。