「知識と政治との遊離」の感想
知識と政治との遊離
ちしきとせいじとのゆうり
初出:「改造」1948(昭和23)年12月号

中井正一

分量:約14
書き出し:現在往々にして、知識層が政治に期待を失って、その行動の方向を失わんとしつつあると伝えられている。それは敗戦再出発の歴史的瞬間にある日本民族にとって、寒心すべき事態であるといえよう。何故、知識層が、政治より絶望し、遊離し、やがて現実そのものも自棄的に放擲するような事となるのであろうか。案外その理由と歴史は深くかつ遠いのであるまいか。その基礎と様態について省みてみたい。私は政治から遊離するところの知識...
更新日: 2018/09/04
いちにいさんの感想

知識とは何を指しているのか、曖昧だが、最後でどうやらこの作者はどこまでも「図書館」万歳の人のようだ、ということがわかる。 文化や知識は個人レベルではなく、大きな組織で集団的共同研究の形で政治に役立必要があるとする。つまり図書館こそが組織的知識機構であり政治に 奉仕できるとするのである。 プラトン(敗退)、ディオゲネス(逃避)、アリストテレス(妥協)、ソクラテス(捨身)が引合いに出されたが、図書館の前に敗北だ!分類は面白いので覚えておこう。何かの教養の役に立つかも知れぬ。