幸田露伴
晩学なので 仲間うちの学生からは 大器晩成先生 などと 呼ばれている けど 委細構わず 勉強に 励みすぎたので 神経をやられ やむなく 転地療法として 山奥の 荒れた寺に 逗留したとき に目にした 画幅に 触発され 以後 平凡な 生活に入り 病も癒えて しまう。 画の描写 が 子細 なのが 肝かなと感じた