世の中は 駕籠に 乗る人 担ぐ人 草鞋を作る人 その又 わらじを 拾う人と なるかのも しれない。 圧倒的に 多数は 尻馬に 訳もわからず 乗る人かも しれない。 一億総懺悔で 折りあいをつけて 納得して済ます。
天皇への批判、戦争への批判は内心に留めざるを得ない状況だったのでは? それが騙されたことになるかは少々疑問です。 本音を述べれば、それは生活が成り立たなかったでしょうし。
前半は戦争についての今の自分の考えを改める必要性を強く感じさせる文書であった。後半は手紙という互いの意思の疎通にある程度の時間がかかる媒体を使いながらも、漏れのない巧みな文で自分の意思をまちがいなく伝えている辺りが素晴らしいと感じた。
知的階級に政治を任せ、戦争を任す無気力な国民。 結果、招いた戦争で勝っている時は誉め称え、負けた瞬間責任転嫁。自分達の責任に無自覚で無反省。 これは国民の無責任が招いたものだ。 戦争の責任は知的階級のみが負うものではなく、戦争を黙認した国民全体にも責任がある。 だから、戦争を起こしたのは知的階級だっと言う考えは無責任だと思うことである。 これは今の政治にも同じで、あの政治家が悪い、この政治家が悪いと言う人達がいるがその政治家を選んだのは国民でそれを黙認したのも国民である。 だが、知的階級や政治家の責任は便宜上の公的責任で法律的に罰せられるが、 国民は罰せられることはない。 ならば、国民の責任はどうすれば良いのか。 それは国民自身が己の脆弱な心を自覚し反省し、それを改善する努力をするべきであると私は思います。
これは反動の意見なのではないか?戦争に導いたのは明らかに知識階級である。