雙之川喜1941 九鬼は 京都 祇園の 枝垂桜を 愛でている。夜桜の もとで 靴 草履 裸足が 踊っている。共に 愉しむ 様子の 描き方に 感じ入る。物陰で 立ち小便する 御仁も 見逃して やろうと 言うけど あの 野原 雲古で 名を売った 狂国の 輝かしい 高貴とは いいにくい 大胆 無知の 愚民をも あたたかく みまもるの かな。
清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵逢ふ人皆うつくしき 与謝野晶子
桜の季節には必ずこの随筆を思い出す。今も昔も桜を愛でる民衆の姿勢は変わらないということ、著者の桜に対する慈愛にも似た祈りが感じられる。
男と女、子供からお年寄り、職業、年令、関係なく見た目も様々ないろいろな人達。かれらが桜の木を背景に踊っている場面が好き。著者の『たまにはほがらかに遊ばなければ仕事の能率もあがりようがない』の意見には、なるほどと思った。