「仏国議会に於ける脚本検閲問題」の感想
仏国議会に於ける脚本検閲問題
ふつこくぎかいにおけるきゃくほんけんえつもんだい

――ゴンクウルの『娼婦エリザ』――

――ゴンクウルの『しょうふエリザ』――初出:「中央公論 第四十一年第四号」1926(大正15)年4月1日

岸田国士

分量:約30
書き出し:一八九〇年十二月二十二日、仏国上院に於ける予算質問中、議員アルガン君は、政府が民間の一小劇場に対して、年額五百法の補助を与へ、同劇場を推奨する意図を表示したことを攻撃した。その劇場は即ち自由劇場であり、攻撃の理由は、同劇場の上演脚本が、屡々風紀を紊すものであるといふのである。これに対して、時の文部省芸術局長ラルウメ君は、極力自由劇場の功績を賞揚し、一二脚本の選択を誤つたとしても、それは当局の信頼を...
更新日: 2016/04/18
3827ddee843eさんの感想

先の大戦中まで日本は、自由にものの言えない国であった。行政機関により手紙は勝手に開けられ、電話は盗聴され、街を歩けば憲兵や特高が目を光らせる。そんな時代であった。 戦後70年が立ち、首相の悪口を街頭で声高に叫んでも捕まることはない時代になった。しかし、ネットという、下手をするとかつての特高よりやっかいなものが出てきた。個人情報は簡単に全国にさらされ、自分の意に沿わない意見には執拗なまでに攻撃を加える。 そしてもっとも恐ろしいのは、戦時中の検閲のようにお上が治安維持法など作って取り締まっているわけではなく、一市民がいつでも特高のように取り締まる側に豹変することである。相互監視社会。自分達の手で、言論の自由をどんどん封じている時代。全く生きづらい世の中である。