「『ハイカラ』といふこと」の感想
『ハイカラ』といふこと
『ハイカラ』ということ
初出:「東京朝日新聞」1927(昭和2)年4月3、4、5日

岸田国士

分量:約11
書き出し:近頃の若い人達は、もうこんな言葉は使はないかもしれないが、それでも、言葉そのものは、まだなくなつてはゐない。「あの男はハイカラだ」といへば、その男がどういふ風な男であるかは問題ではなく、寧ろ、さういふことをいふ人間が、どんな人間であるかを知りたいほどの時代になつてゐるのかもしれない。一体、この「ハイカラ」といふ言葉は、だれがどういふ機会に作りだし、いつ頃世間でもつとも流行したのであるか、私は記憶し...
更新日: 2019/08/22
ハルチロさんの感想

一気に読ませていただいたが、浅学非才の愚生には、今一つ、『ハイカラ』と『粋』の区別、表現の違いが飲み込めない。残念至極である。これを機会に、『ハイカラ』、『粋』の真髄を研究したいと思う。本作品の最後に紹介された『K君』とは、「いきの構造」を上梓された「九鬼周造」氏のことであろうか。九鬼氏の「いきの構造」については、「青空文庫」で拝読させて頂いた。残念ながら、読み込みが足りなかった為、『粋』についても判然としない。我ながら情けない。