「戦死した友田恭助氏」の感想
戦死した友田恭助氏
せんししたともだきょうすけし
初出:「報知新聞(夕刊)」1937(昭和12)年10月9日

岸田国士

分量:約3
書き出し:友田君戦死の通知を受けて、かねて覚悟はしてゐたことながらまだ半信半疑の気持である。俳優としての友田君は築地小劇場時代から知つてはゐたが、本統に知り合つて一緒に仕事をしはじめたのは昭和七年二月築地座結成以来である。築地小劇場解散以後『新築地』『左翼劇場』『地球座』等左翼的傾向をもつた新劇団が続出し、それにつれて多くの新人俳優が擡頭して来たが、友田君は『新東京』以来本格的な新劇舞台俳優として、断然群を...
更新日: 2019/08/20
ハルチロさんの感想

新劇の有望な俳優である「友田恭助」氏への追悼文である。作者が、演劇文化発展に際して、友田氏の手腕を高く評価し、演劇文化振興の原動力と考えていたこと分かる作品(追悼文)である。作品末で「友田」氏の戦死を「男子の本懐」と綴られているが、当時の状況下ーー戦時下ーーでは、軍人に対する追悼文の定型として綴られたものであろう。本作品中に綴られた作者の「友田」氏への想いを見る限り、決して「本懐」であってと考えていないことが伺える。