「三八年の女性はかく生きよ!」の感想
三八年の女性はかく生きよ!
さんじゅうはちねんのじょせいはかくいきよ!
初出:「河北新報」1938(昭和13)年1月1日

岸田国士

分量:約4
書き出し:三八年の女性はかく生きよ!岸田國士事変が起ると同時に、各婦人団体の活躍が急にめざましくなり、何々婦人会の襷をかけた婦人達が、出征兵士の送迎に慰問に飛び歩いてゐるのは、一応婦人の国家的自覚のあらはれとして結構なことゝいはねばならないが、果して婦人のなすべきことはこれに尽きてゐるだらうか。今度のやうな大きな事変にぶつつかれば女性も目の前の力に推され、これに適応して行くのは自然なことであるが、今の環境に...
更新日: 2019/08/23
ハルチロさんの感想

『三十八年』は、日中戦争が本格化し始めた年。本作品は、“銃後を預かるご婦人方”に向けて発表された、大学の文芸学科教授らしい文章です。最初に拝読した時、この作品は、帝都を中心とした地域を主として発表されたものと思いました。しかし、出典を拝見すると、「河北新報」のコラムか何かのようで、少々驚きました。しかし、考えてみると、大日本帝国陸軍第2師団は、当時、満州や北支(中国北部)に派遣されていました。そして、この第2師団は、主に東北出身者で構成されていました。「河北新報」は、東北地方の主力紙ですから、この作品(記事)が同紙に発表されたのでしょう。