『三十八年』は、日中戦争が本格化し始めた年。本作品は、“銃後を預かるご婦人方”に向けて発表された、大学の文芸学科教授らしい文章です。最初に拝読した時、この作品は、帝都を中心とした地域を主として発表されたものと思いました。しかし、出典を拝見すると、「河北新報」のコラムか何かのようで、少々驚きました。しかし、考えてみると、大日本帝国陸軍第2師団は、当時、満州や北支(中国北部)に派遣されていました。そして、この第2師団は、主に東北出身者で構成されていました。「河北新報」は、東北地方の主力紙ですから、この作品(記事)が同紙に発表されたのでしょう。