「明治大学文芸科に演劇映画科を新設する件」の感想
明治大学文芸科に演劇映画科を新設する件
めいじだいがくぶんげいかにえんげきえいがかをしんせつするけん
初出:「東京日日新聞 夕刊」1938(昭和13)年3月9日、10日、11日

岸田国士

分量:約10
書き出し:私はかねがね日本の現状からみて、演劇映画の仕事に携はるものが、単に実務による経験のみを頼らず、系統だつた基礎知識と、良い意味でのアカデミツクな修業とを身につけてから、それぞれ職業的な部門につくやうにしなければ、将来この方面における人的要素の充実は困難であらうといふ見透しをつけてゐた。勿論、今までも個人々々の努力である程度の研究もでき、専門の領域で相当の技倆見識をもつやうになれないこともなかつたのだ...
更新日: 2019/08/15
ハルチロさんの感想

本作品は、『東京日日新聞』に掲載された宣伝広告的記事である。この作品で注目したい点は、この時代に、当時で言えば恐らくサブカルチャー的位置付けであろう「演劇映画」に学問的要素を見出だし、「演劇映画」学士を排出しようと考えたことである。この時代ーー昭和13年ーーは、前年に『盧溝橋事件』が勃発し、日中戦争に発展した年、世界に目を向ければ、ナチスドイツが隣国侵略に画策し、第二次世界大戦の口火を切らんとしていた年、である。現にこの記事ーーこの作品ーー発表の年、著者は従軍作家の陸軍部隊の一員として召集されている。愚生のような短慮非才のものには、暗雲漂う時代に、文化芸術の発展や未來を考える余裕はない。この着想は、現代において、「現代まんが図書館」を創設した明治大学の気風によるものであろう。