名前すら覚えていない高校の国語の先生へ。貴方が1人1冊森鴎外の本を配って行った授業はまだ私の心に残っています 先日初めて本物の高瀬川に行く事ができ、感動しました
私の影 映る水面に 高瀬舟
倫理を考えるのは自分の手に余るから何も言えない。 とにかく読ませる文章だった。川に船が流れる光景、音、気温、湿度、匂いが充分に想像できる書きぶりで、静かに文章に引き込まれていった。 喜助の独白も同様で、彼の焦りに影響されてか早くページをめくり、読み進めなければと急かされる気持ちになった。 あらかじめ書いたように、彼の行為の善悪は私には判断できない代物である。だからこそ押し黙るしかないのだが、それが彼らのいる場の静けさを伝えるような書きぶりと重なった。自分の無力さというか、私の判断能力の範疇を超え、圧倒している様を指摘されているかのようだった。
衝撃的で凡人の私にはとうてい判断できない作品です。作中の弟の気持ちは痛いほど理解できる。自分の身内に置き換えたとき、たとえどんな状況でも大切な人は居るだけで励みになる。よい人生だったと思いたい。
弟殺しの罪でこれから流罪になるという罪人が何故か護送中嬉しそうにしているという不思議に身の上をきいてみると…。 自由を奪われても悲観してないという点では松本清張の無宿人別帳を思い出しました。食うにも事欠く厳しい世界では牢に入れられても飯が食えるのがありがたいと思う人が、なんなら今の世でも年末年始には出没するので人間の暮らしがどれほど便利になってもなかなか精神レベルでは変わらないということでしょうか。 そして弟殺しの詳細は…これまた現代においても悩ましい命題がポイッと投げ込まれていて、短編ながら濃い作品でした。
高瀬舟。 この美しい響きを持つ名称のタイトルから、 さる高貴なお方が乗るものと思いながら、読み始めると、良い意味で、期待を裏切ってくれた。 そして、作品の展開も、先が全く読めず、早々とページを繰る自分がいた。 何とも情緒ある文体である。たちまち物語に引き込まれ、すぐに読み終えた。 果たして、作中の喜助、そして自分とは、幸せに差があろうか。 失う物があり、それを失う事を恐れる自分と、喜助との間に。 当作品の文豪の書物を読むのは、これが初めてで、他の作品も、是非読みたいと思った。
誰しも平穏に生きていきたい。足るを知ること。喜助の罪は現代の裁判ではどのような判決になるのか。例え現代で有罪であっても喜助は、感謝の気持ちを表すのではないか。喜助から学ぶことは、現状や与えられた機会に感謝すること。日々の生活の中でつい忘れがちになってしまうことをこの小説で改めて認識できた。感謝。
安楽死のことが思い浮かんだ。苦しみから解放するために殺したことは、罪とは言えないかもしれない。しかし、罪として言い切らないといけないということも、よくわかる。難しい問題だ。
医療がかえって人間性を害している。人間がよりよく生きるために医療があり、ヒポクラテスの誓いなどの医療倫理があるのに、延命に固執しすぎて本人の意思に反した身体侵襲行為、機微情報の濫用、自己決定権の阻害など、まるで神にでもなったかのように人間の命や意思や尊厳を弄んでいる。 構成要件該当性、違法性、責任の本質からちゃんと犯罪性を検討している人がほとんどいないのも絶望的。
尊厳死の問題は今でもあるけれど、 昔からあったんだな。
中学か高校の頃に読み、やけに記憶に残ったのを覚えています。
安楽死の話だと思って読んでいたが、その部分は、この小説のごく一部にしかすぎない。 足るを知れ、ということか。 喜助もしばらくしたら、もっと欲が出てこないものなのか
人間の罪ってなんなのでしょうね。私にも庄兵衛にもそれはわかりませんでした。 そんな話。喜助は"良い"罪を犯したと言えるでしょう。罪にも善悪があるのだと思います。
弟を殺した主人公が反省等をしていてまた、刑を受け入れているところも面白かった
人殺しの罪で島流しをさせられる罪人の身の上話を船頭が聞くと言うストーリー。とても切ない話で現代に置き換えて考えても答えは出せない。
自殺幇助の問題であろう。 総論的には 安楽死の要件に あてはまらないと思う。 そんなことより たるをしった喜助の覚悟の程が 読み手の胸を打つと感じた。
苦しんでいる人を救ったという目で見れば確かに喜助は罪人ではない。 しかし、法律だとかそういった観点では弟殺しの罪人に他ならない。 私には喜助が悪いことをしたとは思えない。 それを大義に人を殺していいわけでは決してないけど、だからこそ間違いが起きないように安楽死という制度はこの時代にも必要だったのではないか。
姉から聞いたことがあった本。読書嫌いだった私はずっと読んでいなかった。 この内容は姉とも被る。私の姉は病気でずーっと苦しみ生きてる意味をいつも考えていた。 別の病気で亡くなったものの生きている間はきっとこのような気持ちだっただろう。 だから私にこの本のタイトルを教えたのであろう。 読んでいて涙が出た。
高瀬舟→端的に言うなら「諦念」でしょうか。
森鴎外の作品の内に於ても、この高瀬舟は異彩を放つてゐる。「生きることこそが苦しみで、死は生からの解放なのである」と、全くこれに尽きる。我々の飼い慣らされた倫理観からは、到底思いつきもしない、異常な感性によつて支えられた、至極の作品である。 これはまことに異端者の思想そのものである。我々は、まばゆき太陽の光に照らし出して生を煌めかせるのだが、この高瀬舟は違う。眼球の底が冷えるほどに、ただ、闇を直視させるのである。