牧野信一
愚生のごとき俗物が、本作品の題名だけに興味を示して読むと、肩透かしを食らう作品ではなかろうか。本作品の背景には、確かに“競馬”の記述があり、その“競馬”は、本作品の大事な背景を担っている。だが、その“競馬”は『賭け事』、『博打』としての性格を全面に打ち出さず、本作品の織り成す人間模様の“小道具”であると感じる。 また、本作品は、私的には「夢幻的描写」というか「舞台劇的描写」というか、あまり馴染みにくい描写である。ただ、こういう構成の作品は、詩的感覚を持った読者には、はまるかも知れない。