「人生三つの愉しみ」の感想
人生三つの愉しみ
じんせいみっつのたのしみ
初出:「新潮 第四八巻第四号」1951(昭和26)年3月1日

坂口安吾

分量:約20
書き出し:アンタブスという酒が嫌いになる薬の実験者の話が週刊朝日に収録されていたが、効果テキメンというわけにはいかないらしい。すべて中毒というものは、当人に治そうとする意志がないとダメだということは、私自身が経験からそう感じていることであるが、アンタブスは服薬を中止すると又飲めるようになるらしいから、結局薬なしでも禁酒の意力を蔵している人だけが禁酒できるのではなかろうか。しかし、私はアンタブスの実験例から意...
更新日: 2021/06/09
32c7ecf9b568さんの感想

「誇大妄想 安吾」で検索したら本作にヒットしまして、データをみると戦後の流行期も去り、精神的に低迷してた時期の作品ということで、それなら全集の17か18巻にあるかと探してみましたが、あいにくなく、初めて本アブリで読むことになりました。 検索ワードの箇所は最後の方にあり、田舎者ほど酔うと政治の話をしたりすることを誇大妄想といいたいようだ。 そもそもどうしてこのワードを検索したかといいますと、YouTubeで、とある本の要約を紹介していて、内容としては日本人が幸福感を感じられない要因と対処法が述べられていて、ふと、安吾なら、「そんなのみんな誇大妄想だからさ」と言いそうだなと直感したからです。 本作では人生には愉しみが必要であり、それは人から強制されたり、ましてや配給されるものではない、と語られています。 現代において娯楽といえば星の数ほどあるでしょう。しかし安吾の言葉を借りれば、それは同時に悔恨も星の数だけ増えているということだと思います。日本人が幸福感を味わえないとしたら、そこに原因があるのではないでしょうか? 先ほど紹介した本の著者はタイトルでその対処法を、日本を捨てろといいます。世界的視野にたって日本を見よ、ということのようです。ここにも、田舎者が持ちやすい誇大妄想が働いていると、安吾ならいいそうです。 安吾の作品はいつの時代にも何か大切な示唆を与えてくれるのは、彼が時代という地層の奥に滞留し、泉のごとく涌き出る人間の本質をつねにとらえているからだと思います。