雙之川喜1941 その頃 江戸八百八町には 火消し組が 四十八組あった。浅草では 新門辰五郎が 十番-を 組として 仕切っていた。消防夫は 鳶と 呼ばれ 纏い持ち 梯子持ち 彼らは 威勢と 心意気の 役目だった。当時は 竜吐水(りゅうどすい)の 水は やっと 大家根に 届く 程度の 無力な もので むしろ 消防方に水を 浴びせるのが 主な 仕事であり 鳶口で 屋根に 穴を 穿ち 内部の 熱気を 上に 逃すのが 大体の 手法だった。火事の 現場には 弁当等も 運び込まれ 長期戦が 普通だった という。心がけの よい若者は 災害に 備え 枕元に 鳶刺し子 提灯 蝋燭等を 用意して 寝たという。 巻末に 浅草大火焼け跡略図 白黒図 一葉あり。