私の庭にも 木賊(とくさ)が 繁茂しているので やたら 顔を出す この植物に 何かの 想いを 託して 創作したようにも 感じた。植物に 関心が 少ないと 容易に 反論できるのに 大上段に構えて 結論を得てしまうことは 気楽な 渡世の 性(さが)とも 言えるかもしれない。
芥川は後年ドッペルゲンガーを見たそうだ。死の前年に書かれた作品だ。そういうこともあって彼の心に触れたのだろうか。しかし「本当に見たのですか?」と聞かず、「多少悪意のある」感じで「好きだったのですね」と返したのは、女心の分かる。 というか、誰しもが持つエゴイズムを思い知らされる。
何が言いたい⁉️
Nさんは清太郎を好いており、病床に臥す彼の姿が不憫でならなかった。それ故に例え不良少年のようでもいいから、清太郎が元気に外で動ける様を妄想、あるいは願っていたのではないだろうか。
読んでいくうちにオチがわかってくるが、こういう結末でよかったと思う。
何が言いたいのかわかりますか? 芥川でもいいんですか? こんな作品でも 書いてしまっていいんですか? 無理に書かなくてもいいんじゃないですか? だってあなたは 芥川なんですよ!
あっさり終わるが、面白い余韻を残している。後味が悪くはなく、怪奇っぽいのに解りやすい。