桐生氏自身は真珠湾攻撃の直前に亡くなって、戦後名誉回復することはなかったのが皮肉
本作品中、作者の述べていることは、正鵠を射ている。事実、作中の防空演習から5年を経ずして、作者の懸念が具現化した。当時、制海圏が縮小すれば、比例して制空圏が縮小する。当時の防空システムでは、海上での敵機制圧が不可能となれば、本土上空での制圧に望みを託すしかない。しかし、航空機による迎撃が脆弱であり、対空砲火が輪をかけて脆弱である当時の状況からすれば、作者の懸念を軍部自体が、もっと危機感を持って対策を立てねばならなかった。本作品のような「警鐘」を軽視した軍部により、国民は災禍の火中に落とされたと言えるのではなかろうか。
このエッセイが発表された12年後に、それは現実になってしまった 。筆者は大演習の想定から、その当時の世相の結末を見いだしていたのかもしれない。
太平洋戦争の行く末を見越したような 著書であり、作者の慧眼に感嘆するのみである。