「政治の論理と人間の論理」の感想
政治の論理と人間の論理
せいじのろんりとにんげんのろんり
初出:「セルパン」1937(昭和12)年8月号

三木清

分量:約5
書き出し:トハチェフスキー元帥らの銃殺および最近ソヴェートにおける清党工作は世界を驚かせた。元来この事件についてはいまだ正確な事実を知り得ず、伝えられることの多くは臆測の要素を含み、あるいは何らかの為めにする宣伝ですらあるようである。したがってこの事件に対する我々の批評も、単なる感想にとどまらざるを得ない。この事件によってソヴェート政権および赤軍が脆弱《ぜいじゃく》になったとは考えられないであろう。もちろん...
更新日: 2017/11/19
芦屋のまーちゃんさんの感想

ソヴェートという響きが懐かしい。 あの国は確かにソヴェート、ソ連という国だった。私が赤の広場に降りたった時もソ連であった。ゴルバチョフ政権誕生の年だった。記念にプラウダを日本に持ってきたはずだが、古新聞と一緒に捨てられているだろう。 今でこそ独裁政権というイメージは強くない。ソ連とロシアであれば、何となくロシアの方がノスタルジックだ。 ソヴェート文学とは言わず、ロシア文学と我々は呼んでいることと関連性があると思う。 直接はスターリンの粛清を知らないが三木が言うように人間の論理からはかけ離れたものだったのだろう。 しかし、帝政ロシアというかロシア帝国下では人間の論理はどうだったのか?ゴーゴリやドストエフスキーを生んだロシアと何も生まれないソ連との差はやはり歴然としているであろう。