「集団文化と読書」の感想
集団文化と読書
しゅうだんぶんかとどくしょ
初出:「読書人」1951(昭和26)年7月

中井正一

分量:約5
書き出し:集団文化と読書中井正一「金沢文庫」「足利文庫」などといっていたものが、「図書館」となるには、なんといっても、時代の流れを感ぜずにいられない。封建領主の財宝であり、庫の中に収められる所有物であったものから、大衆のサービスの対象となり、旅館のような、茶館のような大衆の共有物となる事は、大きな一つの変革であった。一つの都市に、喫茶店の如く二百の図書館が散在するというアメリカの図書館は、この大衆サービスの...
更新日: 2018/09/04
いちにいさんの感想

本は手元に置いておくべきか? という命題の答えは実は難しい。 「一般的に」と前もって宣言したときの一般人の経済水準がどれくらいなのであろうか?ということと関連してくる。つまり、金に余裕がないと本などそもそも読まない。金に余裕があるということは時間的にも余裕があるということだ。釣竿を買わずに本を買う者はいるが、米の代わりに本を買わない。図書館の本の役割はそこにあるが、いくら金に余裕があっても何万円もする画集や全集を買うことは通常できない。それも図書館の仕事になる。 座右の銘ならず、座右の本、つまり再読を繰り返す本は矢張り手元になくてはならない。青空文庫でも良い。実は、「集団文化と読書」も再読組である。段々、青空文庫も読むものがなくなってきたような気もする。

更新日: 2016/04/17
芦屋のまーちゃんさんの感想

マイクロフィルム技術で「トランクの中に三万冊の本が入る。」時代を夢見る筆者。 今や、 トランクどころか、手のひらに入る携帯電話で一体何冊の本が読めるのだろうか? 喫茶店の数ほどの図書館がアメリカには当時あったと言う筆者。 今や、 家の中に、図書館があるようなものだ。ベッドに寝転んで閲覧できる。 あと、数十年後には、 図書館も銀行も市役所も実存しなくるるのではないか? ネット上の仮想空間で我々は生きて行く時代が到来してもやむを得ない。