槍ヶ岳紀行
やりがたけきこう
初出:「改造」1920(大正9)年7月分量:約12分
書き出し:一島々《しま/\》と云ふ町の宿屋へ着いたのは、午過ぎ——もう夕方に近い頃であつた。宿屋の上《あが》り框《かまち》には、三十|恰好《がつこう》の浴衣の男が、青竹の笛を鳴らしてゐた。私《わたし》はその癇高い音《ね》を聞きながら、埃にまみれた草鞋の紐を解いた。其処へ婢《をんな》が浅い盥《たらひ》に、洗足の水を汲んで来た。水は冷たく澄んだ底に、粗い砂を沈めてゐた。二階の縁側の日除けには、日の光が強く残つて...