この文章は、大正15年に書かれたものだそうだが、社会の欧米化が進み、日本について欧文で書くときに日本名を欧米に倣って「名→姓」と逆列に表記するのは如何なものかと難じた小論だ。 これは、現在でもよく聞く話だし、正式な書式がどうなっているのかは知らないが、いまは僅かながら日本名を「姓→名」と順列で表記した欧米文書も見たことはある。 しかし、この伊東論文の論調は、もう少し激しく「断じて姓名を逆列するな」と熱したものだ。「如何なものか」などとジーパンの上から尻を掻くような宇遠な感じなど毛頭ない。 日本における姓名の由来なるものも簡潔明瞭に記している。 古来より姓は身分を表し、氏は家系を表し、維新前までの武士の苗字は個人の家の名として地名が付けられていたという。 かくなる由緒も伝統もある名前をそう易々と引っくり返されてたまるか、というわけだ。 だから、異議申し立ての理由は、大いに納得できるものだ。 いわく ❮日本人が固有の風習を捨てて外国の慣習に倣うのは、如何にも外国に対して柔順過ぎるという怪訝の感を起こさしむるに過ぎぬと思う❯ 大切な日本固有のものまでねじ曲げて、何でもかんでも外国に同調するなと難じている、極めて正論で否定するものなど、どこにもない。 しかし、問題は、ここからだ。 そこで、中国名を引き合いに出す。 いわく 中国はその点えらい、日本みたいに軽々しく欧米化に同調ぜず、「姓→名」の伝統的順列を堅持しているではないかと。 そして、ここでは誰だってよかったと思うのだが、いま思いついたみたいな軽い感じで、二人の中国人名を例示している。 張作霖と李鴻章。 この小論が書かれた2年後に日本の関東軍の謀略によって爆殺された張作霖だ。 この名前が出てきてしまうと、このままのんきに姓名表記逆列の話なんかしてていいのかという気になる、居たたまれないような、どうもにも具合が悪い感じだ。 この感じ、つい最近も味わった。 いまや時の英雄ゼレンスキー大統領が、アメリカ議会で演説した際に、アメリカを鼓舞するために口走った「リメンバー·パールハーバー」、あれだよ。 頼むから、それだけは言わないでおくれでないかい。パールハーバーだとか、張作霖だとか。 お願いします、世界。